第4話 帰り道の話
ファミレスを出ると、外はまだ真っ暗だった。
午前4時すぎ。空気は冷たくて、涼花は少し肩を丸めながら歩いていた。
街灯が長い影を作っている。深夜営業のファミレスの暖かさから一転して、冬の夜気が肌を刺す。僕は無意識に歩くペースを涼花に合わせた。
「駅まで一緒に行くよ」と言うと、「方向違うでしょ」と返された。
「知ってる」と答えると、今度は何も言わなかった。
駅の反対方向に帰るはずだった。だから本当は時間の無駄だ。でも、この深夜の町を一人で帰す気がしなかった。眠れない彼女の横顔を見ながら、そう思った。
しばらく無言で歩いた。
靴が舗装道路を叩く音だけが響く。夜明け前の世界は、昼間とは別の場所に思えた。誰もいない道路、薄紫色に染まり始める空。コンビニの明かりが遠くに見えた。そこだけが、まだ昼間の領域のように輝いている。
涼花は何度か横目で僕を見ているようだった。
何か言いたいのか、それとも単に歩行音の大きさを気にしているのか。僕には判断がつかなかった。
「眠れなくなったのって、いつ頃から?」
僕が聞くと、涼花は少し間を置いた。
「去年の春かな。なんかうまく言えないけど、ある日急に、夜が長くなった感じ」
その説明は、僕の想像以上に明確だった。眠れない人の言葉だからこそ、その意味の重さが伝わってくる。
「何かあったの?」
僕の質問に、涼花は首を傾げた。
「あった、とも言えるし、なかった、とも言える。大きな出来事じゃないんだよね。ただ、気づいたら眠れなくなってた。理由なんて後付けでしかないのかもしれない」
言葉の端々に、彼女の葛藤が見えた。原因が分からないことの、もどかしさ。
僕には経験がなかった。眠れない夜の感覚が、どんなものかを。
毎晩、布団に入ると数分で眠りに落ちてしまう。朝も気持ちよく目覚める。そんな当たり前のことが、すべての人にとって当たり前ではないのだと、今夜初めて深く理解した。
「怖くない?」と聞くと、「最初は怖かった」と彼女は言った。
その声は、思い出すことでいくぶん小さくなっていた。「毎晩、朝が来るまでの時間の長さに気づいた。自分だけ時間が止まってるみたいで。でも、朝は来るんだ。待ってれば、必ず。そしたら、怖さは慣れに変わった」
「今は慣れた。慣れたくはなかったけど」
その言葉に、僕は何も返せなかった。応援することも、励ますことも、上っ面に思えた。
歩いていると、あの夜明け前の空気が、涼花にとって日常なのだと気づいた。
彼女は毎晩、この冷たい空気の中で目を覚ましているのだ。コンビニの光を見つめ、街灯の下を歩きながら、朝を待っている。その積み重ねが、彼女の表情の奥底にあるのだと感じた。
駅に着いた。
涼花は改札を通りながら振り返った。
「ありがとね、話聞いてくれて。こんな時間に、こんな話に付き合ってくれる人、珍しいよ」
「また眠れない夜は声かけて」と言うと、彼女は少しだけ笑った。
その笑顔は、ファミレスでの笑顔とも、帰り道での無表情とも違っていた。本当の、小さな、優しい笑顔。
初めて見た、本物の笑顔だった気がした。
改札の向こう側で、彼女が手を上げた。
僕も手を上げる。駅舎の天井は薄紫色に変わり始めていた。確実に、朝が近づいていた。
──(第5話へつづく)