第2話 針の導く先
羅針盤は、北でも東でも南でも西でもない方向を指していた。
セラは「行くべき場所を示すから」と言った。それは方角ではなく、場所そのものを指すのだと言った。魔法の道具にはよくあることなのだと、当たり前のように説明する彼女の口調に、ぼくは呆れ気味に頷くしかなかった。半信半疑で、針の向く方に歩き始めた。
街の中心部を抜けると、古い水路沿いの道に出た。普段は通らない道だった。雑草と石畳が混じり合い、日当たりが悪いせいか空気が少し湿っていた。時折、静寂を破るように水路の水が流れる音が聞こえた。古い街並みが段々と薄れていく感覚に、ぼくはどこへ向かっているのか不安になり始めていた。
羅針盤の針は揺れながら、ある一点で止まった。
その動きを見つめていたぼくは、足を止めた。前方に何かがあるはずだ。目を凝らすと、水路の脇に小さな木の扉があった。壁に埋め込まれたような扉で、表札も看板もない。周囲の古い壁と一体化して、注意深く見ていなければ見落としてしまいそうなほどだった。ただ、扉の縁に古い彫刻があった。地図の模様だった。幾何学的な線が複雑に交わり、まるで古い魔法陣のようにも見える。これはセラが言っていた場所に間違いなく、羅針盤が導いてくれたのだ。
心臓の鼓動が少し早くなった。本当にこんなところに何かあるのだろうか。ぼくは深く息を吸って、扉に手を伸ばした。
押してみると、音もなく開いた。
丁寧に油が差されているのだろう。扉は滑らかに動いた。中から、古い本の匂いが漂ってきた。懐かしい匂いだ。図書館の奥底に置かれた古い書籍のような、時間が詰め込まれた匂い。
ぼくは扉を全て開いて、中へ足を踏み入れた。
中は薄暗く、本棚がいくつも並んでいた。天井の高さは思ったより低く、ぼくの頭がすれすれだ。本棚はどれも背が高く、古い木でできていた。蝋燭の光が幾つか灯されており、その不安定な光が影を揺らがせていた。本棚の隙間に蝋燭が置かれているのは、消火の危険を冒してまで火を灯すだけの価値があるということなのだろう。
地図の本だけが、壁を埋め尽くしていた。
大陸全図から街の細い路地図まで、様々な縮尺の地図が本になって詰め込まれていた。古いものから新しいものまで。ぼくは羅針盤を握ったまま、周囲を見回った。こんな場所が本当に存在していたのか。セラはどうしてこのようなところを知っていたのだろうか。
「いらっしゃい」
奥から、しゃがれた声がした。
ぼくは反射的に後ずさった。奥の暗がりを見つめると、徐々に人影が浮かび上がってくる。年老いた女性だった。丸い眼鏡をかけ、長い白髪を後ろにまとめている。彼女は本の山から顔を上げ、ぼくをじっと見つめた。その眼差しは鋭く、まるでぼくの内面まで読み取ろうとするようだった。
「セラから聞いているのだろう」
それは質問というより、確認のような言葉だった。
ぼくは羅針盤を見せた。銀色の金属が蝋燭の光を反射する。女性は眼鏡の奥で目を細めた。
「そうか。遂に時が来たのか」
呟くような声で、彼女は立ち上がった。
──(第3話へつづく)