どれだけの時間が経ったのか。
鏡の向こうで、私の顔をしたものが、部屋を引き払っていくのが見えた。私になりすましたそれは、私の人生に飽きたのか、それとも別の理由か、荷物をまとめて、出ていった。
部屋は、また空になった。
そして、ある日。
鏡のなかの、私の部屋に、新しい住人が越してきた。
若い、男だった。段ボールを抱えて、何度も廊下を往復している。私が、かつてそうしたように。
私は、鏡に張りついて、彼を見た。
逃げて。ここに、住んじゃだめ。夜、廊下の鏡を、見ないで。
声は、届かない。男は、荷物を運びながら、ふと、廊下の突き当りの鏡を見た。私の、いる鏡を。
目が、合った。
その瞬間、私の体が、ひとりでに動いた。
右手が、上がった。私の意思ではなかった。反転した部屋に長くいすぎた私の体は、もう、飢えていた。孤独に。人恋しさに。
手が、ゆっくりと、手招きをした。
おいで。
やめて。私は、心のなかで叫んだ。この人を、巻き込まないで。私は、こんなこと、したくない。
でも、体は、言うことを聞かなかった。もう一方の手も上がり、鏡の面に、手のひらをついた。ガラスの向こうへ、私の手が、白く盛り上がっていく。
男が、鏡のなかの「遅れて動く自分」に気づいて、首をかしげた。
かつての私と、同じ顔で。
だめ。見ないで。私は、涙を流しながら、手招きを続けた。私の体が、私を裏切って、この人を、引きずり込もうとしていた。
こうやって、繰り返されてきたのだ。前の住人も、私を、こうやって。
本当は、みんな、叫んでいたのかもしれない。やめて、逃げて、と。飢えた体に、逆らえないまま。
男が、鏡に、一歩、近づいた。