第9話: 新しい住人

どれだけの時間が経ったのか。

鏡の向こうで、私の顔をしたものが、部屋を引き払っていくのが見えた。私になりすましたそれは、私の人生に飽きたのか、それとも別の理由か、荷物をまとめて、出ていった。

部屋は、また空になった。

そして、ある日。

鏡のなかの、私の部屋に、新しい住人が越してきた。

若い、男だった。段ボールを抱えて、何度も廊下を往復している。私が、かつてそうしたように。

私は、鏡に張りついて、彼を見た。

逃げて。ここに、住んじゃだめ。夜、廊下の鏡を、見ないで。

声は、届かない。男は、荷物を運びながら、ふと、廊下の突き当りの鏡を見た。私の、いる鏡を。

目が、合った。

その瞬間、私の体が、ひとりでに動いた。

右手が、上がった。私の意思ではなかった。反転した部屋に長くいすぎた私の体は、もう、飢えていた。孤独に。人恋しさに。

手が、ゆっくりと、手招きをした。

おいで。

やめて。私は、心のなかで叫んだ。この人を、巻き込まないで。私は、こんなこと、したくない。

でも、体は、言うことを聞かなかった。もう一方の手も上がり、鏡の面に、手のひらをついた。ガラスの向こうへ、私の手が、白く盛り上がっていく。

男が、鏡のなかの「遅れて動く自分」に気づいて、首をかしげた。

かつての私と、同じ顔で。

だめ。見ないで。私は、涙を流しながら、手招きを続けた。私の体が、私を裏切って、この人を、引きずり込もうとしていた。

こうやって、繰り返されてきたのだ。前の住人も、私を、こうやって。

本当は、みんな、叫んでいたのかもしれない。やめて、逃げて、と。飢えた体に、逆らえないまま。

男が、鏡に、一歩、近づいた。

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