空が、少しずつ、白みはじめた。
僕は、鞄から鍵を取り出した。この鍵で、たくさんの時計を巻いてきた。たくさんの人を、明日へ送り出してきた。
最後に巻くのは、あさひの花時計。そして、僕自身の、止まった時。
「準備は、いい?」
あさひが、うなずいた。僕の手を、しっかりと、握ったまま。
僕は、花時計の裏の鍵穴に、鍵を差し込んだ。
かちり。
一度まわすと、花時計の針が、ぴくりと動いた。あさひの姿が、朝の光のなかで、少しだけ、透けはじめた。
「お兄ちゃん」と、あさひが言った。「時計番のお仕事、誰かに引き継がなくていいの?」
僕は、手を止めた。そうだ。僕が消えたら、誰が、止まった時計を巻くのだろう。町中で取り残された人たちを、誰が、明日へ送り出すのだろう。
「……でも、僕は、もう」
「わかってる。一緒に行くって、約束したもんね」
あさひは、僕の顔を、じっと見た。
「でもね、お兄ちゃん。わたし、思うの。お兄ちゃんは、時計番でいるあいだ、たくさんの人を助けてきたんでしょう。それって、すごく、いいことだよ。お兄ちゃんに、向いてる」
「あさひ……」
「わたしは、ひとりでも、大丈夫。だって、もう、迷子じゃないもん。名前も、思い出も、ぜんぶ、取り戻したから。お母さんのことも、お兄ちゃんのことも、ちゃんと、覚えてる。それを持って、次の場所へ行けるなら、こわくない」
僕は、鍵に手をかけたまま、動けなかった。
一緒に行くか。それとも、時計番として、残るか。
「決めるのは、お兄ちゃんだよ」と、あさひは笑った。「でも、わたしは、お兄ちゃんが、この町の夜を、守り続けるのも、素敵だと思う。だって、そうしたら、いつか、また誰かの迷子を、見つけてあげられるでしょう」
朝の光が、あさひの輪郭を、ゆっくりと、溶かしはじめた。
「時間だ」と、僕はつぶやいた。
かちり。
僕は、鍵を、二度目に、まわした。