第9話: 振り返るな

俺は田口の腕を引いて、扉のほうへ走った。背後から、ずるり、ずるりと、何かを引きずるような足音が追ってくる。

「振り返るな」。管理人の声が飛んだ。彼は先に扉のところまで戻り、俺たちを手招きしていた。

そのとき、背後から声がした。

「兄さん」

管理人の弟の声だったのだろう。管理人の足が、止まった。顔が、ぎこちなく後ろを向きかける。

「見るな!」今度は俺が叫んだ。「あんたが約束したんだ!」

管理人は、はっとして、ぐっと顔を前に戻した。歯を食いしばり、涙を流しながら。「……すまん、すまんな」と、うわ言のように繰り返しながら。

田口は、まだ半分あっち側に囚われているのか、足がもつれた。俺は必死で引きずった。背後の足音が、すぐ近くまで迫っている。冷たい手が、俺の肩に触れようとする気配。

あと少し。扉まで、あと少し。

俺は前だけを見た。田口の手だけを握った。抜け落ちた床の穴を飛び越え、鉄骨をかいくぐり、扉に向かって最後の力を振り絞った。

扉を抜けた瞬間、管理人が力いっぱいそれを閉めた。俺と田口は、階段の踊り場に倒れ込んだ。

管理人が、震える手で鎖を巻き、鍵をかけた。扉の向こうから、拳で叩くような音が、しばらく響いていた。ドン、ドン、ドン。それから、ふつりと静かになった。

田口は、荒い息をつきながら、俺の腕の中でぐったりしていた。だが、その頬に、少しずつ血の気が戻ってくるのがわかった。

「……戻ってきたか」管理人が、階段にへたり込んだ。「弟の声が、聞こえた。俺を、呼んでた。でも、俺は……振り向かなかった」

彼の目から、涙がこぼれ落ちた。それは、悲しみだけの涙ではなかったように、俺には思えた。

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