第9話: うめさんの忘れもの

店が元に戻って、少し落ち着いたある夜、私はふと、あることに気づいた。この店には、たくさんの人の忘れものがある。でも、うめさん自身の忘れものは、あるのだろうか。

「うめさんは、何か、なくしたものはないんですか」

そう聞くと、うめさんは、めずらしく、遠い目をした。

「あるさ。私にもね」

彼女は、店のいちばん高い棚を見上げた。そこには、私がまだ一度も開けたことのない、古びた箱が一つ、置かれていた。

「あの箱にはね、私の『名前』が入っているんだ」
「名前?」
「私はもともと、人間だったんだよ。ずっと昔にね。大切な人を亡くして、その人にまつわる思い出も、悲しみも、何もかも抱えきれなくて、自分の名前ごと、この店に預けてしまった。名前を手放したから、私は『店の主』という、名もない存在になった。そうして、人の忘れものを預かり続けてきた」

私は、言葉を失った。うめさんは、自分自身を、この店に預けていたのだ。

「取り戻さないんですか。名前」
「取り戻せば、私はまた、ただの人間に戻る。この店を、離れなきゃならない。それに、名前を取り戻すってことは、あの悲しみを、もう一度、抱えるってことだからね」

うめさんは、寂しそうに、けれど穏やかに笑った。

「でもね、あかり。あんたが来てくれて、思ったんだよ。そろそろ、私も、自分の忘れものを、取りに行ってもいいんじゃないかって」

私は、はっとした。

「もし私が、名前を取り戻したら」うめさんは私を見た。「この店を、あんたに継いでほしい。あんたなら、きっと、いい主になれる」

私は、うめさんの目を、まっすぐ見返した。この店で、私は多くのものを取り戻した。今度は、私が、この場所を守る番なのかもしれない。

「……はい」と、私は答えた。

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