その夜は、様子が違った。
服部が、めずらしく、深刻な顔をしていた。
「佐野殿。折り入って、頼みがある」
「珍しいな。あんたが頼みごとなんて」
「拙者、腕が、鈍っておる。しばらく、実戦から遠ざかっておったゆえ。ついては——尾行の、練習台になってはくれぬか」
「尾行?」
「そなたが、前を歩く。拙者が、気づかれぬよう、尾ける。それだけのこと」
「それだけって……なんか、こわいんだけど」
しかし、断りきれず、僕は深夜の住宅街を、歩かされることになった。
「よいか。拙者の気配を、感じたら、振り返れ。見つけられたら、拙者の負け」
「わかったよ」
僕は、夜道を歩きだした。
背後に、気配は、まったくない。しんとした住宅街に、僕の足音だけが、響く。本当に、尾けているのか?
三分ほど歩いて、ふいに、ぞくりとした。誰かに、見られている感じ。
ぱっと、振り返る。
誰も、いない。街灯と、電柱と、闇があるだけ。
「……気のせいか」
また歩きだす。今度は、電柱の陰に、何かが動いた気がした。振り返る。いない。ゴミ集積所の陰。いない。植え込みの奥。いない。
気配は、確かにあるのに、姿は、まるで見えない。
背中に、じっとりと汗をかいてきた頃、僕は、たまらず叫んだ。
「服部さん! もう、いいって! こわいから!」
すると、僕のすぐ真後ろから、声がした。
「合格でござる」
飛び上がった。いつのまに。ずっと、真後ろにいたのか。
「腕、鈍ってないだろ! ばっちりだろ!」
「いや。昔の拙者なら、そなたに悟らせもしなかった。三度も、気配を感じさせた。まだまだでござる」
「化け物か、昔のあんたは!」
服部は、少しだけ、寂しそうに笑った。
「昔は、な。もっと、上手くやれたのだ。いろいろと」
その横顔に、僕は、なんとなく、聞いてはいけない気がした。
帰り道、服部は、いつもの調子に戻って、手裏剣クッキーをくれた。
でも、あの寂しそうな笑顔が、少しだけ、頭に残った。
この忍者、意外と、何か、抱えているのかもしれない。