深夜二時。僕こと佐野一郎は、コンビニ弁当を片手に、動画を眺めていた。
残業続きで、生活はとうに壊れている。飯は深夜、風呂は明け方、睡眠は電車のなか。三十二歳独身、優雅なぐうたら生活である。
と、天井から、こつ、と音がした。
上の階……ではない。僕の部屋は最上階だ。じゃあ、天井裏か。ネズミにしては、重い。
「あー、ちょっと、うるさ——」
文句を言おうと天井を見上げた瞬間、点検口のふたが、すっと開いた。
そこから、黒ずくめの人影が、逆さまにぶら下がってきた。顔は覆面。目だけが、爛々と光っている。
僕は弁当を落とした。
「ぎゃああああ! 泥棒!」
「静かに」
人影は、忍者が使うような口調で言い、音もなく床に着地した。全身黒装束。背中には刀のような棒。どう見ても、コスプレである。
「拙者、隣に越してまいった、服部と申す。以後、お見知りおきを」
「隣……? 隣、空き部屋でしたよね」
「昨日、越した。挨拶に参ろうとしたが、玄関から行くのは、素人のやること。忍びは、天井から参る」
「常識で来い、常識で!」
服部と名乗る男は、覆面をずらした。案外、ふつうの、三十前後の顔だった。爽やかですらある。それがまた、恐ろしい。
「これ、粗品でござる」
差し出されたのは、手裏剣型の……クッキーだった。妙に凝っている。
「あの、忍者って、設定ですよね? 職業、何なんですか」
「拙者の職業は、忍。それ以上でも以下でもない」
「令和ですよ、今」
「時代は関係ござらん。闇は、いつの世にもある」
服部は、ずいっと、顔を近づけた。
「佐野殿。そなた、疲れておるな。生活が、乱れておる。この服部、隣人のよしみで、そなたの夜を、正しく導いてしんぜよう」
「いや、けっこうです。ほんとに、けっこうです」
「遠慮は無用。これも、任務ゆえ」
そう言うと、服部は、また点検口へ、するすると登っていった。
「では、また夜に。おやすみなされ」
ふたが、静かに閉まった。
僕は、床に落ちた弁当と、手裏剣クッキーを、交互に見た。
「……なんだったんだ、今のは」
こうして、僕の平穏な——いや、だらけきった深夜は、終わりを告げたのだった。