第2話 返事が来た
三日後、その本が返却されてきた。
自分の書き込みを書いてから気になっていて、図書館に行くたびに返却ボックスを確認してしまっていた。朝の通勤時間に立ち寄ったり、仕事の帰りに足を延ばしたり。同僚には不思議そうに見られていたけど、そんなことは気にしていられなかった。その本がいつ戻ってくるのか、本当に誰かが読んでくれたのか、それとも誰にも手に取られないままなのか。毎日毎日、そのことばかり考えていた。
やっと見つけた。返却コーナーの一番奥に、背表紙が見えていた。
図書館の片隅で、そっとページを開く。何度も見返した自分の文字が、そこにあった。そして──その隣に、赤いボールペンで続きが書いてあったのだ。
『確かに。でも俺はいつも遅すぎる派なので、ちょうどよかったと思いたい』
俺、という一人称。男の人だ。
思わず周囲を見回ってしまった。図書館の静寂の中で、自分だけが大きく息をしているような気がした。本当に誰かが書いてくれたんだ。それも、こんなに素敵な返事を。
そして「いつも遅すぎる派」という言い方が、なんとなくおかしくて、一人で笑ってしまった。思わず口を抑える。図書館員に注意されるかと思ったが、誰も気づいていないようだった。何度も読み返してしまう。赤いボールペンの字は、やや癖のある走り書きで、でもどこか温かみがあった。
この人は、本の登場人物だけじゃなく、自分のことも重ねて読んでいる。
その想像だけで、なぜか胸が高鳴った。どんな人なんだろう。どんな人生を歩んでいる人なんだろう。「いつも遅すぎる派」とはどういう意味なのか。失敗も多いということか。慎重すぎるのか。それとも、いつも後悔ばかりしているのか。
帰宅して、その日は何度もページを開いた。その返事を何度も読んだ。赤いペンの文字を目で追うたびに、この見知らぬ誰かのことを考えずにはいられなかった。
黙っていようと思った。もう十分だ。返事が来たじゃないか。これで満足しよう。そう決めたのに、気づいたら別のページを開いていた。
ページの余白に、ゆっくりと文字を重ねる。
『遅すぎるのは、ちゃんと悩んだ証拠だと思います』
自分で書いておきながら、顔が熱くなった。こんなことを書いて、大丈夫だろうか。押し付けがましくないだろうか。でも、そう思ったのだ。本当のことだ。何もしないで後悔するより、遅れてでも行動する人の方が、きっと強いんだ。
本を棚に戻した。
返却ボックスに入れて、静かに図書館を後にした。今度はいつ返ってくるのか、分からなかった。でも、また返ってくるといいなと思った。そして、あわよくば、また返事が来たら。その光景を想像するだけで、つまらない日常が少し彩り始めたような気がした。
──(第3話へつづく)