その夜、俺は一睡もできなかった。田口はボタンに触れたのか、触れなかったのか。俺があいつの腕をつかんだとき、指はもう、あの「13」に触れていたのだろうか。
記憶をたどっても、はっきりしなかった。あの一瞬、田口の指先とボタンの距離は、紙一重だった。
翌日、俺は思い切って田口の実家に連絡を取った。電話に出たのは、彼の母親だった。
「息子は……先週から、病院に」と、震える声が言った。「原因不明の衰弱で。日に日に、痩せていって。医者にも、わからないと」
俺は病院を教えてもらい、その足で見舞いに行った。ベッドに横たわる田口は、別人のようだった。頬はこけ、肌は土気色で、目だけがぎょろぎょろと動いていた。
「田口……」
俺が声をかけると、あいつは薄く目を開けた。乾いた唇が、かすかに動く。
「……あの日、俺……指、触れちまった。ほんの、少しだけ。お前が止める、直前に」
やはり、そうだったのだ。
「毎晩、呼ばれるんだ」田口は虚ろな声で続けた。「十三階に来い、って。夢の中で、暗い工事現場みたいな場所に立ってる。鉄骨がむき出しで、床がところどころ抜けてて……そこに、三人、いるんだ。作業服の。顔がない」
俺は言葉を失った。
「毎晩、少しずつ、あいつらに近づいていく。もうすぐ、届く。届いたら、俺は……」
そこで田口は、ふっと目を閉じた。俺は必死に呼びかけたが、あいつはもう、深い眠りに落ちていた。
病室を出た俺は、廊下で管理人の言葉を思い出していた。「少しずつ、あっち側に引き寄せられていく」。
田口を助ける方法は、あるのだろうか。俺には、それを確かめる術が、一つしか思いつかなかった。