その夜をきっかけに、私たちの言葉は少しずつ深くなっていった。
彼は小さな設計事務所で働いていて、いつも締め切りに追われているらしい。もともとは大きな会社にいたが、体を壊して辞めたと書いていた。《がんばりすぎる癖が抜けなくて》と。私は思わず《それ、私もです》と返した。似た者どうしだったのかもしれない。
私は、看護師になった理由を書いた。子どものころ、入院した祖母に付き添ってくれた看護師さんに憧れたこと。でも実際の現場は理想とはほど遠くて、何度も辞めたくなったこと。
《それでも続けてるのは、すごいことですよ》と彼は書いた。《僕は逃げたから、よくわかる》
《逃げたんじゃなくて、守ったんだと思います。自分を》。私がそう返すと、彼はしばらく動かなかった。やがて、ゆっくりと紙が掲げられた。
《そんなふうに言ってもらえたの、初めてです》
運河をはさんで、私たちは互いの傷を、そっと見せ合っていた。近くにいたら、きっと言えないことばかりだった。この距離が、この暗闇が、私たちに正直でいさせてくれた。
その夜、別れぎわに彼が書いた。
《七階さんと話す時間が、一日でいちばん好きです》
私は胸がいっぱいになって、返す言葉に迷った。マジックを持つ手が震えた。少し考えて、私は書いた。
《私もです。あなたのおかげで、夜が怖くなくなりました》
二つの灯りが見つめ合う。言葉にしないぶん、光がすべてを語っていた。ルールを決めたはずなのに、私たちの距離は、確かに縮まっていた。