真央は、他の住人に警告しようと決めた。
このままでは、いつか誰かが呼ばれる。木ノ下のことを話し、この夜逃げのようないなくなり方の正体を、みんなに知ってもらいたかった。
だが、そもそも、このマンションにはほとんど人が住んでいなかった。
二十室のうち、明かりが灯るのは、数えるほど。表札もほとんどが空欄だった。
それでも、三階の三〇五号室には、若い男性が住んでいた。真央と同じ頃に引っ越してきた、会社員風の男だ。エントランスで何度か会ったことがある。
真央は、思いきって三〇五を訪ねた。
男は警戒しながらもドアを開けた。真央が事情を説明すると、彼は最初、笑い飛ばした。
「幽霊の点呼? そんなの、ただの都市伝説でしょう」
「でも、隣の四〇一の人が、本当にいなくなったんです。荷物ごと」
「引っ越したんじゃないですか」
「一昨日、話したんです。次の日には、消えてました。何年も誰も住んでなかったみたいに」
男は、少し表情を曇らせた。
「そういえば、俺も、聞いたことある気がします。夜中に、上のほうから、変な声が」
「聞いたら、記録しておいてください。自分の部屋番号や名前が呼ばれてないか、確認して」真央は必死だった。「呼ばれたら、危ないんです」
男は、半信半疑の顔でうなずいた。
その夜、真央はいつものように点呼を記録した。
「……さん、まる、ご……なかむら、けんと……」
三〇五、中村健人。呼ばれた。
真央は、はっとした。あの男の名前だ。声は続けた。
「……たいきょ、よてい」
退去、予定。
今夜はまだ「済み」ではない。「予定」だ。つまり、まだ間に合うかもしれない。
真央は、部屋を飛び出した。三階へ駆け下り、三〇五のインターホンを連打する。
返事は、なかった。
ドアノブを回すと、鍵はかかっていなかった。中に入ると、部屋は、もぬけの殻だった。
家具も、荷物も、何もない。まるで、最初から誰も住んでいなかったかのように。
「退去、予定」だったはずだ。まだ、間に合うはずだった。
真央は、その場に座り込んだ。
名簿の書き換えは、真央が思うより、ずっと早かった。