老人が帰ったあと、莉子は青年に尋ねた。
「あなたも、会いたいんじゃないですか。もう一人の、自分に」
青年は、長い間、黙っていた。やがて、静かに口を開いた。
「僕は……この遊園地で働いていました。三年前、閉園するまで」
莉子は、息をのんだ。
「観覧車の点検係でした。閉園の日、最後にもう一度だけ観覧車を回そうとして――事故に遭ったんです」
莉子の背筋が、冷たくなった。
「僕は、あの日、死んだんです」青年は、淡々と言った。「気づいたら、この乗り場に立っていました。夜になると観覧車が動いて、迷った人がやってくる。僕は、その人たちを乗せて、見送る。それが、僕の役目になっていました」
「じゃあ、あなたは……」
「はい。もう、生きていません」
莉子は、言葉を失った。目の前の青年は、こんなにも、はっきりと、そこにいるのに。
「僕がゴンドラに乗れないのは」青年は続けた。「僕には、もう、『選ばなかった人生』がないからです。人生そのものが、あの日で、終わってしまったから」
莉子の胸が、締めつけられた。
「僕は、たくさんの人の『もう一つの人生』を見送ってきました。でも、僕自身には、もう、そのどちらもない。ただ、ここで、みんなを見送るだけ」
「そんな……」
「いいんです」青年は、微笑もうとした。「みなさんが、少しでも前を向いて帰っていくのを見るのが、僕の、たった一つの喜びですから」
その夜、莉子は、初めて青年の名前を聞いた。
「湊、といいます」
「湊さん」莉子は、名前を呼んだ。「わたしに、何かできることは、ありませんか」
湊は、少し驚いたように莉子を見た。それから、首を振った。
「僕のことは、いいんです。あなたは、あなたの人生を、生きてください」
でも、莉子は思った。
この人を、このまま、ずっと一人で「見送る係」にしておいていいのだろうか、と。