店を出たのは、午前四時を過ぎた頃だった。
冬野が最後にシャッターを下ろす音が、静まりかえった路地に響いた。「Record」の看板の灯りが、ぱちりと消える。
「なんだか、実感がわかないです」七海は言った。「明日からもう、この階段を降りても、あの音はないんですね」
「音は、なくならない」冬野は看板を見上げた。「あんたの中に、ちゃんと残ってる。俺の中にも」
ふたりは、どちらからともなく歩き出した。始発まで、あと一時間ほど。空はまだ暗いが、東のほうが、ほんのわずかに白み始めていた。
「あの一枚、大事にします」七海はバッグに入れたレコードを、そっと押さえた。
「聴くプレーヤー、持ってるのか」
「持ってません」七海は笑った。「だから、一緒に選んでください。プレーヤー」
冬野は少し驚いて、それから、初めて見るくらい柔らかく笑った。
「いいよ」
商店街を抜け、ふたりは川沿いの道に出た。夜と朝の境目のような、静かな時間。街はまだ眠っていて、世界にはふたりしかいないみたいだった。
「冬野さん」
「なんだ」
「今日の気分に合う曲、って、今なら自分で選べる気がします」
「言ってみろ」
七海は、しばらく考えた。それから、空を見上げて言った。
「終電を逃したのに、なぜか、すごく満ち足りてる。さみしくなくて、あったかくて――そんな夜明けの曲です」
冬野は、静かにうなずいた。
「いい選曲だ」
東の空が、少しずつ色を変えていく。藍色から、うすい橙へ。
針が落ちる前の、あの一瞬の沈黙のように――何が始まるかわからない、けれど確かに何かが始まる予感の中で、ふたりは肩を並べて、朝が来るのを待った。
終電のあとには、いつも、新しい朝が待っている。