第10話: 朝が来る前に

店を出たのは、午前四時を過ぎた頃だった。

冬野が最後にシャッターを下ろす音が、静まりかえった路地に響いた。「Record」の看板の灯りが、ぱちりと消える。

「なんだか、実感がわかないです」七海は言った。「明日からもう、この階段を降りても、あの音はないんですね」

「音は、なくならない」冬野は看板を見上げた。「あんたの中に、ちゃんと残ってる。俺の中にも」

ふたりは、どちらからともなく歩き出した。始発まで、あと一時間ほど。空はまだ暗いが、東のほうが、ほんのわずかに白み始めていた。

「あの一枚、大事にします」七海はバッグに入れたレコードを、そっと押さえた。

「聴くプレーヤー、持ってるのか」

「持ってません」七海は笑った。「だから、一緒に選んでください。プレーヤー」

冬野は少し驚いて、それから、初めて見るくらい柔らかく笑った。

「いいよ」

商店街を抜け、ふたりは川沿いの道に出た。夜と朝の境目のような、静かな時間。街はまだ眠っていて、世界にはふたりしかいないみたいだった。

「冬野さん」

「なんだ」

「今日の気分に合う曲、って、今なら自分で選べる気がします」

「言ってみろ」

七海は、しばらく考えた。それから、空を見上げて言った。

「終電を逃したのに、なぜか、すごく満ち足りてる。さみしくなくて、あったかくて――そんな夜明けの曲です」

冬野は、静かにうなずいた。

「いい選曲だ」

東の空が、少しずつ色を変えていく。藍色から、うすい橙へ。

針が落ちる前の、あの一瞬の沈黙のように――何が始まるかわからない、けれど確かに何かが始まる予感の中で、ふたりは肩を並べて、朝が来るのを待った。

終電のあとには、いつも、新しい朝が待っている。

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