第8話: 一枚のレコード

翌週、七海は店に行けなかった。

仕事が忙しかったわけではない。あの夜、言いかけた言葉のせいだった。あと一歩で、想いを口にするところだった。それが怖くて、足が向かなかった。

閉店まで、あと二週間。

迷った末、七海はようやく階段を降りた。

扉を押すと、店内はさらにがらんとしていた。棚のレコードは半分以上なくなり、カウンターの上に、一枚だけレコードが置かれていた。

「来ないかと思った」冬野が言った。

「来ました」七海は微笑もうとして、失敗した。

冬野は、カウンターのレコードを手に取った。

「これ、あんたに」

「え?」

「売り物じゃない。あの人が、いちばん大事にしてた一枚だ」

七海は受け取った。ジャケットは色あせているが、大切に扱われてきたのがわかった。

「聴いていいですか」

冬野はうなずいた。針を落とす。プツ、という音のあとの、一瞬の沈黙。

流れてきたのは――七海が忘れもしない、あの曲だった。第5話の夜に流れた、甘くて切ないラブソング。

「これ……」

「曲名、教えるって約束したろ」冬野は言った。そして、タイトルを口にした。それは、「もう一度、始めよう」という意味の英語だった。

七海の目から、涙がこぼれた。

「あの人が、いちばん好きだった曲だ」冬野は続けた。「俺はずっと、この曲を聴くのが怖かった。思い出しすぎるから。でも――」

彼は、七海を見た。

「あんたと聴くなら、いいと思った」

七海は、レコードを胸に抱いた。歌声が、店いっぱいに満ちていた。過去と、今と、まだ来ない未来が、その一曲の中で溶け合っていくようだった。

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