自分の名前が読み上げられた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
真央は、動けなかった。声は、まだ「退去済み」も「予定」も付け加えていない。名前を呼んだだけで、止まっていた。
真央は、震える声で叫んだ。
「木ノ下さん! 火事は、もう終わりました!」
沈黙。
「二十年前の火事は、もう終わったんです! あなたは、みんなを助けようとした。立派でした。でも、もう――もう、いいんです!」
天井から、ぎしり、と重い音がした。
真央の目の前の暗闇が、ゆっくりと形を変えていく。焦げたにおいが、部屋に満ちた。煙のような黒い影が、天井から降りてくる。
それは、人の形をしていた。作業着を着た、中年の男。全身が黒く煤けて、顔は、ただれていた。
木ノ下だった。
「……ぜんいん……ぶじか……」
しわがれた声が、真央の耳に直接届いた。
「無事です」真央は、涙をこらえて答えた。「みんな、無事に逃げました。あなたのおかげです。だから、もう数えなくていいんです」
木ノ下の影が、ゆらりと揺れた。
「……ひとり、たりない……ひとり、まだ……」
真央は、はっとした。
一人、足りない。二十年前、逃げ遅れた一人。それは――木ノ下自身だ。
彼は、全員を助けた。だが、自分だけが逃げられなかった。彼の点呼で、最後まで確認できていない一人。それは、木ノ下自身の無事だったのだ。
「木ノ下さん」真央は、まっすぐに影を見た。「最後の一人は、あなたです。あなたも、無事です。もう、逃げていいんです」
木ノ下の影が、びくりと震えた。
「……わたし……?」
「はい。あなたも、助かっていい。ずっと、みんなを守ってくれた。もう、休んでください」
焦げたにおいが、少しずつ薄れていった。
黒い影が、ゆっくりと、人らしい輪郭を取り戻していく。ただれた顔が、穏やかな中年男の顔に変わった。彼は、真央を見て、かすかに微笑んだように見えた。
「……ぜんいん……ぶじ……」
そして、影は、天井の闇に溶けるように、消えていった。