その水曜は、朝から雨だった。
傘を差して階段を降り、扉を押すと、店内はいつもより湿った匂いがした。古いレコードと、雨のにおい。
「今日のリクエスト、決まってます」七海は言った。「雨の日に聴きたい曲、お願いします」
冬野はうなずいて、一枚のレコードを取り出した。針を落とすと、しっとりとしたジャズが流れ出した。ピアノとサックスが、雨だれのように絡み合う。
曲が終わると、冬野はレコードを裏返した。
「B面?」
「A面が表なら、B面は裏。人が聴かない方だ」冬野は針を落とした。「でも俺は、B面のほうが好きなことが多い。売れなかった曲には、無理がないんだ」
流れてきたB面の曲は、たしかにA面より地味だった。けれど、聴いているうちに、その素朴さが胸にしみてきた。
「冬野さんって、いつからここでお店を?」
「五年になる」
「その前は?」
冬野の手が、一瞬止まった。
「……会社員だった。音楽とは関係ない仕事だ」
それ以上は言わなかった。七海も聞かなかった。
雨脚が強くなり、階段を伝って雨音が店内まで届いてきた。ふたりは黙って、B面の曲を聴いた。無理のない、売れなかった音楽を。
「わたし、たぶんB面みたいな人間なんです」七海はふと言った。「目立たなくて、誰にも選ばれなくて」
「B面が好きな人間も、ここにいる」
冬野はこちらを見なかった。盤面を見つめたまま、ぽつりとそう言った。
七海は、返す言葉が見つからなかった。ただ、頬が熱くなるのを感じて、うつむいた。
雨は、なかなかやまなかった。やんでほしくないと、七海は思った。この時間が、少しでも長く続いてほしかった。