それから、男は、しょっちゅう店に来るようになった。
もう、包丁は握っていなかった。普通の客として、深夜にふらりと現れる。
「いらっしゃいませ」
「よお」
名前は、佐々木というらしい。年は三十五歳。工場をリストラされ、再就職もうまくいかず、生活費のために消費者金融に手を出して、借金がふくらんだ――というのが、彼の身の上話だった。
「あの強盗の日、田村くんに止められてなかったら、俺、今ごろ刑務所だよ」佐々木は、レジ横で肉まんをかじりながら言った。「あんたは、命の恩人だ」
「命は、かかってないと思いますけど」
「日雇いバイト、始めたんだ。あんたの言う通りにな。まだ、きついけど、少しずつ返してる」
「よかったじゃないですか」
田村は、レジ打ちをしながら、淡々と答えた。佐々木は、この無関心なんだか親切なんだかわからない店員が、なぜか居心地よかった。
ある夜、佐々木は、缶コーヒーを二本買って、一本を田村に差し出した。
「これ、あんたの分」
「え、いいんですか」
「この前のフランクフルトの、お礼だよ」
田村は、少し驚いて、缶コーヒーを受け取った。深夜のコンビニで、客から差し入れをもらうのは、初めてだった。
「あのさ」佐々木が言った。「なんで、あの日、俺を通報しなかったんだ? 強盗だぞ、俺」
田村は、しばらく考えた。
「なんか、通報するの、めんどくさかったんですよね」
「めんどくさい?」
「調書とか、書かなきゃいけないでしょ。あと、あなた、全然強盗って感じじゃなかったし。包丁の持ち方も、へっぴり腰でしたし」
「……ほっとけよ」
そのとき、自動ドアが開いた。
入ってきたのは、また別の、黒いパーカーの男だった。手には、震える包丁。
「う、動くな! 金を出せ!」
田村と佐々木は、顔を見合わせた。
「……先輩、後輩ができましたよ」田村が言った。
「俺は先輩じゃない!」佐々木が叫んだ。
どうやら、このコンビニは、気弱な強盗を引き寄せる、不思議な磁場を持っているらしかった。