僕は、公園へ走った。
あさひは、まだ、ベンチのそばにいた。母親は、帰っていた。あさひは、ひとりで、花時計を見上げていた。
「あさひ」
僕が呼ぶと、あさひが振り向いた。
「思い出したよ。全部。僕は、君の、兄さんだ」
あさひの目が、大きく見開かれた。
「……お兄ちゃん?」
「あの日、僕も、一緒だった。君をかばって、僕も、死んだんだ。でも、僕は、それを忘れて、時計番になっていた」
あさひは、震える手で、僕に触れようとした。その手が、僕の頬に、そっと重なった。冷たくて、でも、確かな感触だった。
「ずっと、ひとりだと思ってた。お兄ちゃんも、いなくなって、お母さんも来なくて。わたし、ずっと、この時計と一緒に、止まってた」
「ごめん。気づかなくて。すぐそばにいたのに」
「ううん。会えたから、いい」
あさひは、笑った。今度は、寂しそうじゃなかった。
「ねえ、お兄ちゃん。わたし、もう、大丈夫。お母さんにも会えた。お兄ちゃんにも会えた。わたしの時計を、巻いてくれる? わたし、もう、進みたい。ここじゃない、どこかへ」
僕は、鍵を、握りしめた。
あさひの花時計を巻けば、あさひは、消える。この世界から、完全に。次の場所へ、行ってしまう。
でも、それが、あさひの望みなら。
「わかった。でも、その前に」
僕は、ベンチに座って、あさひに、隣を勧めた。
「少しだけ、話そう。兄妹の時間を。ずっと、止まってた分だけ」
僕たちは、並んで座った。子どもの頃のこと。ピアノのこと。喧嘩したこと。仲直りしたこと。止まっていた時間を、埋めるように、僕たちは、たくさん話した。
夜明けが、近づいていた。
「そろそろだね」と、あさひが言った。「お兄ちゃんも、朝が来たら、消えちゃうんでしょう。時計番だから」
僕は、うなずいた。
「じゃあ、一緒に行こう。二人で、次の場所へ。それなら、こわくない」
あさひが、僕の手を、握った。
花時計の花が、朝露に濡れて、白く光っていた。