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第6話 欠けているもの
羅針盤が導いたのは、街の外れにある古い橋だった。
何度も修復されたのだろう、木製の手すりは色褪せ、石造りの橋脚には苔が生していた。それでも橋は確かに存在し、川を渡る者たちを支え続けていた。
川が流れていた。水は澄んでいて、底の石が見えた。夏の日差しが水面を照らし、光が揺らめいていた。橋の中央に立つと、上流と下流が両方見えた。上流からは森が近づいてくるようで、下流は田畑へと続く平坦な景色だった。
羅針盤を握る手に、汗がにじんでいた。
昨日、セラに「橋の近くで何かが起こったの?」と聞かれて、曖昧に返事をしてしまった。その後の沈黙が、ずっと引っかかっていた。彼女は何か言いたそうだったのに、自分が遮ってしまったのだ。
しばらくそこにいると、ふと気づいた。
自分はずっと、目的地を探していた。どこかにあるはずの「正解」に向かっていた。羅針盤を手にした時、それが完成するのだと思い込んでいた。地図に×印がついたように、ゴールが明確に示されると。でも羅針盤は、行き先を教えてくれない。ただ「今のあなたに必要な場所」を示すだけだ。
それは、自分に何かが欠けているということを前提にしている。
欠けているのは何か。考えた。橋の欄干に肘をついて、川を見つめながら考えた。
立ち止まる場所。人と話す時間。自分の感情に正直になること。面倒な人間関係から目を逸らしていたこと。今この瞬間を感じること。
羅針盤を使い始めてから、それらが少しずつ補われていった気がした。以前の自分なら、この橋の美しさに気づくこともなかっただろう。川のせせらぎを聞きながら、何もしない時間を過ごすこともなかった。
でも、まだ一つ欠けている気がした。何かを誰かと「分かち合う」こと。
橋の上で、セラの顔が浮かんだ。
仕事の報告は何度もしていた。羅針盤のこと、導かれた場所のこと、そこで感じたことまで。でも実際に「一緒に来て」と誘ったことはなかった。なぜだろう。自分の旅を誰かに見せることが、怖かったのかもしれない。判断されるのが嫌だったのか。それとも、特別な体験を自分一人のものにしておきたかったのか。
セラの目は優しかった。いつも、どんな時も。彼女は自分の話を遮らず、最後まで聞いてくれる。そして質問する。「それでどう思ったの?」と。その問いが自分を、何度も立ち止まらせた。羅針盤が導く前に、セラが導いていたのかもしれない。
携帯が鳴った。セラからのメッセージだった。「今日は無理そう」
いつものように、彼女は自分より先に言葉を紡いでいた。今この瞬間も、自分は何もできていない。
報告するだけではなく、一緒に来てほしかった。彼女にもここを見てほしかった。この澄んだ川を。この古い橋の上から見える景色を。そして、その全てを共に感じたかった。
羅針盤の針が、また動き始めた。
── (第7話へつづく)
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