閉店の日が、やってきた。
最後の営業日、七海は仕事を早めに切り上げて店へ向かった。
棚はほとんど空になり、残っているのは、ターンテーブルと数枚のレコードだけだった。冬野は、いつもの場所に座っていた。
「終電、まだあるでしょう」冬野が言った。
「はい」七海は答えた。「でも、来ちゃいました」
最後の挨拶が、初めての夜と同じであることに、ふたりは同時に気づいて、少し笑った。
「最後のリクエスト、いいですか」
「一曲だけな」
七海は、深く息を吸った。
「別れの曲じゃなくて……これから始まる誰かのための、曲をお願いします」
冬野は、じっと七海を見つめた。それから、残った数枚の中から一枚を選び、針を落とした。
流れてきたのは、明るく、けれど優しい旋律だった。夜明けを予感させるような曲だった。
「冬野さん、これから、どうするんですか」
「決めてない」冬野は言った。「でも、もう逃げるのはやめようと思う。ここで五年、あの人の影の中にいた。そろそろ、自分の音を選んでもいい頃だ」
「自分の音」
「ああ」
七海は、勇気を振り絞った。もう、逃げたくなかった。
「その音の中に、わたしがいる余地って、ありますか」
冬野は、驚いたように目を見開いた。それから、ゆっくりと、確かにうなずいた。
「あんたがいい、と言うなら」
スピーカーからは、夜明けの曲が流れ続けていた。
この店は、もうすぐなくなる。けれど、七海は寂しくなかった。終電のあとに始まったこの物語が、次の朝へと続いていく予感がしたから。
最終便は、もうとっくに行ってしまった。それでも、ふたりは急がなかった。急ぐ必要が、もうなかった。