第9話: 最終便のあとで

閉店の日が、やってきた。

最後の営業日、七海は仕事を早めに切り上げて店へ向かった。

棚はほとんど空になり、残っているのは、ターンテーブルと数枚のレコードだけだった。冬野は、いつもの場所に座っていた。

「終電、まだあるでしょう」冬野が言った。

「はい」七海は答えた。「でも、来ちゃいました」

最後の挨拶が、初めての夜と同じであることに、ふたりは同時に気づいて、少し笑った。

「最後のリクエスト、いいですか」

「一曲だけな」

七海は、深く息を吸った。

「別れの曲じゃなくて……これから始まる誰かのための、曲をお願いします」

冬野は、じっと七海を見つめた。それから、残った数枚の中から一枚を選び、針を落とした。

流れてきたのは、明るく、けれど優しい旋律だった。夜明けを予感させるような曲だった。

「冬野さん、これから、どうするんですか」

「決めてない」冬野は言った。「でも、もう逃げるのはやめようと思う。ここで五年、あの人の影の中にいた。そろそろ、自分の音を選んでもいい頃だ」

「自分の音」

「ああ」

七海は、勇気を振り絞った。もう、逃げたくなかった。

「その音の中に、わたしがいる余地って、ありますか」

冬野は、驚いたように目を見開いた。それから、ゆっくりと、確かにうなずいた。

「あんたがいい、と言うなら」

スピーカーからは、夜明けの曲が流れ続けていた。

この店は、もうすぐなくなる。けれど、七海は寂しくなかった。終電のあとに始まったこの物語が、次の朝へと続いていく予感がしたから。

最終便は、もうとっくに行ってしまった。それでも、ふたりは急がなかった。急ぐ必要が、もうなかった。

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