第9話: 最後のゴンドラ

湊は、ゆっくりと、ゴンドラに足を踏み入れた。三年間、一度も乗らなかったゴンドラに。

莉子も、隣に乗り込んだ。扉が閉まる。

ゴンドラが、静かに昇り始めた。

最初、窓の外は、いつもの遊園地だった。だが、頂上に近づくにつれ、景色が変わり始めた。

湊が、息をのんだ。

窓に映っていたのは――生きている、湊の姿だった。

事故に遭わなかった、もう一つの人生。閉園後、湊は別の遊園地に就職していた。子どもたちに囲まれ、観覧車を動かし、楽しそうに働いていた。歳を重ね、恋をして、家庭を持ち――穏やかに、年老いていく。

「これが……僕の」湊の声が、震えた。「生きていたら、こうなっていた……」

「うらやましいですか」莉子が、そっと聞いた。

「……はい」湊は、涙を流していた。「でも、不思議です。うらやましいのに……なんだか、ほっとしてる」

「どうして?」

「あちらの僕が、幸せそうだから」湊は、微笑んだ。「僕は死んでしまったけど、『もしも』の中で、僕は、ちゃんと幸せになれてる。それを、見られただけで――なんだか、救われた気がします」

ゴンドラが、頂上を越えた。窓の景色が、少しずつ、元の遊園地に戻っていく。

「湊さん」莉子は言った。「あちらの湊さんも、きっと、こっちのあなたを思ってますよ。子どもたちを喜ばせたくて、観覧車を動かしたあなたの、優しさを」

湊は、うなずいた。涙が、光っていた。

「僕、ずっと、悔しかった。生きたかった。でも……もう、いいのかもしれません」湊は、窓の外を見た。「僕は、僕なりに、精一杯だった。最後まで、観覧車を動かそうとした。それでいいんだ、って、やっと思えました」

ゴンドラが、地上に近づいてくる。

湊の体が、少しずつ、淡い光に包まれ始めた。

「莉子さん」湊は、穏やかに笑った。「ありがとうございました。あなたが、僕を、連れ戻してくれた」

「湊さん……」

「僕、やっと、降りられそうです」

ゴンドラの扉が、開いた。

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