一時の鐘が鳴った。
影刻が終わり、律の影が、足元に、するりと戻ってきた。
家に帰る道すがら、律は何度も自分の足元を見た。街灯の下、月の下、律の影は、ちゃんとそこにあった。前より、ほんの少しだけ、輪郭がやわらかく、あたたかく見えた。
朝、母が、律の足元を見て、目を潤ませた。
「戻ったのね」
「うん」律はうなずいた。「それと、母さん。俺、朔に会ってきた」
母が、息をのんだ。
律は、桜の下でのことを、全部話した。忘れていた記憶のこと。待ち続けていた朔の影のこと。そして、朔が、律の影の中に、一緒に住むことを選んだこと。
母は、静かに泣いた。悲しみの涙ではなかった。長いあいだ、二人が心の奥に閉じ込めていた朔を、やっと、明るいところに出してやれた、そういう涙だった。
「これからは、三人だな」律は言った。「俺と、母さんと、朔と」
母は、涙をぬぐって、微笑んだ。「そうね。今度の休みに、あの桜を、見に行きましょう。ちゃんと、家族で」
昼の桜は、もう季節ではなく、葉ばかりだった。でも、律には、その木が、以前よりずっと、生き生きして見えた。妹の影が、長いあいだ、独りで守っていた場所。もう、独りじゃない。
律は、幹の「妹へ」の札に、そっと手を触れた。
その夜も、影刻は来た。律は、もう外へは出なかった。眠りながら、自分の影が、床から起き上がるのを、なんとなく、感じていた。
影は、今夜は逃げなかった。ただ、窓辺で、月をしばらく見上げて、それから、律のそばに、静かに戻ってきた。
二人分の影が、月明かりの中で、寄り添って眠っていた。