第8話: すれ違い

袖を掴んだあの日から、藤代さんはまた店に来るようになった。けれど、以前とは何かが違っていた。

彼は花を買わずに、ただ店を眺めて帰る日が増えた。話しかけても、どこか上の空だった。おばあさんを失った悲しみが、まだ癒えていないのだと思った。

ある水曜日、私は思いきって声をかけた。

「藤代さん。無理に来なくても、いいんですよ」

言った瞬間、彼の表情がこわばった。

「……そうですよね。僕、もう客ですらないのに、居座って」

「違います、そういう意味じゃ」

慌てて訂正しようとしたけれど、彼はもう背を向けていた。

「すみませんでした。もう来ません」

ドアベルが鳴って、彼は雨の中に消えていった。傘も差さずに。私は追いかけることもできず、ただその場に立ち尽くした。

どうして、あんな言い方をしてしまったんだろう。本当は、来てほしかったのに。花を買わなくても、ただそこにいてくれるだけでよかったのに。

その夜、私は眠れなかった。彼の背中が、何度も瞼の裏に浮かんだ。

翌朝、店を開けると、ドアの前に一輪の花が置かれていた。青いワスレナグサ。誰が置いたのか、すぐにわかった。

花言葉は――「私を忘れないで」。

私は震える手で、その花を拾い上げた。彼は、言葉にできない想いを、やっぱり花に託していたのだ。あの日の約束通りに。

「忘れるわけない」

声に出して呟いた。忘れられるはずがなかった。私はもう、とっくに彼のことを――。

エプロンのポケットに花を入れて、私は決めた。今度は、私から会いに行こう。花言葉の返事を、ちゃんと渡すために。

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