俺はビルの管理人室を訪ねた。定年間際の、白髪の管理人がいつも座っている小さな部屋だ。
「あの、変なことを聞くようですが」俺は切り出した。「このビルのエレベーター、深夜になると、十三のボタンが出るんです」
管理人は、湯呑みを持つ手を止めた。しわの深い顔が、こわばったのがわかった。
「……あんた、押しちゃいないだろうな」
低い声だった。俺は首を横に振った。「押してません。でも、同僚が……」
管理人は深いため息をついて、湯呑みを置いた。
「昔の話だ。このビルを建てるとき、本当は十三階まで作る予定だった。だが、十三階の工事中に、事故があってな。三人、死んだ。それで縁起が悪いと、上の階の計画は取りやめになった。図面上は、十三階はないことになってる」
「じゃあ、あのボタンは……」
「作りかけの十三階は、まだ、あそこにある。封じられただけだ。深夜、日付が変わるころになると、あの階が『開こう』とする。エレベーターが、迎えに行こうとするんだ。ボタンを押した者を」
背筋が凍った。「押したら、どうなるんですか」
管理人は、俺の目をまっすぐ見た。
「帰ってこられん。今まで何人も、消えた。みんな、深夜に残業してた連中だ。工事で死んだ三人が、寂しがってるのさ。仲間を、あそこに引きずり込もうとしてる」
田口の顔が浮かんだ。あいつはボタンを押していない。それなのに。
「押してなくても、消えることが……」
「触れただけでもだめだ」管理人はうなだれた。「一度でも指が触れたら、目をつけられる。あとは、少しずつ、あっち側に引き寄せられていく」
俺は、あの夜、田口がボタンに触れかけたのを思い出していた。俺が腕をつかんだ、あの瞬間を。