第3話: 隣人の忠告

眠れないまま、朝を迎えた。

ゴミを出しに廊下へ出ると、隣の部屋のドアが開いた。出てきたのは、七十を過ぎたくらいの老女だった。このマンションに長く住んでいると、以前あいさつしたときに聞いていた。

「おはようございます」

私が言うと、老女はじっと私を見て、それから、突き当りの鏡へ視線を移した。

「あなた、あの鏡の前を、夜に通ってるでしょう」

心臓が跳ねた。

「……どうして、それを」
「顔に出てるもの。寝てない顔だ」

老女は声をひそめた。

「あの鏡はね、夜に見ちゃいけないの。昔から、ここに長く住んでる者はみんな知ってる。だから、夜はみんな、目を伏せて通るのよ」
「あの……何なんですか、あれは」
「さあね。私にもわからない。ただ、昔、あの部屋——あなたの部屋に住んでいた人がね」

老女は言いよどんだ。

「毎晩、鏡と話してるって、噂だったの。廊下で、ひとりで。鏡のなかの自分と」
「その人は、今は」
「ある朝、いなくなった。荷物も何もかも、そのまま。玄関の鍵は、内側からかかってたって」

私は言葉を失った。

「悪いことは言わない。夜は、あの鏡を見ないこと。目を合わせないこと。合わせたら——」

老女は、そこで口をつぐんだ。

「合わせたら、どうなるんですか」

老女は答えず、私の肩ごしに、突き当りの鏡を見た。その顔が、みるみる青ざめていった。

私は振り返った。

朝の廊下。鏡は、私と老女の後ろ姿を映している。

ただ——鏡のなかの私だけが、こちらを向いていた。

私は、鏡に背を向けているのに。鏡のなかの私は、正面から、じっと、私を見ていた。

老女が、ひっと息を呑んで、部屋に引っ込んだ。ドアが、乱暴に閉まった。

私は、動けなかった。

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