第3話: リクエストは一曲だけ

水曜の夜が、七海の習慣になった。

仕事を終え、あの地下へ降りていく。冬野は毎回「終電、まだあるでしょう」と言い、七海は毎回「来ちゃいました」と答える。それが二人の挨拶みたいになっていた。

ある夜、七海は思いきって言ってみた。

「わたし、リクエストしてもいいですか」

冬野は少し驚いたように顔を上げた。

「曲名も、アーティストもわからないんです。でも、こういう気分の日に合う曲、ってお願いするのは、だめですか」

「どういう気分」

七海は言葉を探した。

「疲れてるけど、悪い一日じゃなかった、みたいな。ほっとしてるけど、少しさみしい……そんな夜です」

冬野はしばらく棚の前に立ち、指先で背表紙をなぞっていた。やがて一枚を抜き取り、針を落とす。

流れてきたのは、ゆったりとしたギターの旋律だった。夜風のように、優しくて、どこか切ない。

七海は目を閉じた。まさに、今日の気分そのものだった。どうして、と聞きたかったけれど、聞けば魔法が解けてしまう気がした。

「当たり?」冬野が言った。

「大当たりです」

少しだけ、冬野の口元がゆるんだ気がした。初めて見る表情だった。

「じゃあ、これからは一日一曲、リクエストにこたえる。ただし一曲だけだ」

「どうして一曲?」

「たくさん流したら、選ぶ意味がなくなる」冬野は言った。「一曲だけだから、その日のあんたのために選べる」

その言葉の意味を、七海は帰り道でずっと考えていた。

一日一曲。その日のわたしのために。

たった一曲のはずなのに、その約束は、七海の一週間をまるごと明るくした。次の水曜が、待ち遠しくてしかたなかった。

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