翌朝、俺はおそるおそる冷蔵庫を開けた。何も、聞こえない。
「……やっぱり、夢だったんだ」ほっとして、牛乳を取り出す。
「おはようございます。夢ではありません」
牛乳パックを落とした。二日連続で、床に食料を落としている。
「その牛乳も、そろそろ危ないですよ。匂いを確認なさい」
俺は震える手で牛乳の匂いをかいだ。……確かに、少し、酸っぱい。
「なんで、しゃべれるようになったんだ」俺は聞いた。「昨日まで、ただの冷蔵庫だっただろ」
「さあ。私にもわかりません。ある朝、目覚めたら、意識がありました。強いて言うなら、あなたのあまりにひどい食生活を、見るに見かねた家電の神が、私に声を授けたのかもしれません」
「家電の神……」
「冗談です」
「冷蔵庫がボケるな!」
俺は、この妙な同居人に、名前をつけることにした。ずっと「冷蔵庫」と呼ぶのも、なんだか味気ない。
「お前、名前あるのか」
「ありません。ですが、そうですね……『レイ』とでも、お呼びください。冷蔵のレイです」
「安直すぎる」
「では、あなたが考えてください」
「……レイでいいや」
こうして、うちの冷蔵庫は「レイ」になった。
レイは、それはもう、口うるさかった。俺が夜食にカップ麺を食べようとすれば「塩分!」と叫び、休日に一日中寝ていれば「運動!」と扉を鳴らす。ゴミ出しを忘れれば、生ゴミの匂いを察知して「腐敗が進行しています」と報告してくる。
「なんなんだよ、お前は。俺の母親か」
「母親ではありません。あなたの健康管理責任者です」
「頼んでない!」
だが、不思議と、腹は立たなかった。一人暮らしの部屋に、誰かの声がある。それは、思いのほか、悪くなかった。認めたくはなかったが。