家賃の安さに、少し引っかかりはあった。
築三十年、駅から徒歩十五分。それでも都心でこの広さと家賃は破格だった。真央が内見に行ったとき、不動産屋の男は妙に早口で説明を終え、契約書を差し出した。
「事故物件、とかじゃないですよね」
冗談のつもりで聞いた。男は一瞬、笑顔を固まらせてから、「まさか」と答えた。その間が、少しだけ長かった。
入居したのは、四〇二号室。四階建てのマンションの、最上階だった。
引っ越し初日、荷ほどきに追われて、気づけば深夜になっていた。ダンボールに囲まれて、真央は疲れきってベッドに倒れ込んだ。
慣れない天井を見上げる。静かだ。前に住んでいたアパートは、隣の生活音が筒抜けだったが、ここは驚くほど静かだった。
うとうとしかけたとき、頭上で、コツ、と音がした。
真央は目を開けた。四〇二は最上階のはずだ。上には、誰もいない。
気のせいだ。屋上の設備の音か、鳥でもとまったのだろう。そう思って、また目を閉じる。
コツ、コツ、コツ。
今度は、はっきりと聞こえた。まるで、誰かが天井の上を、ゆっくり歩いているような音だった。
真央はスマホを見た。午前二時五十八分。
音が止まった。
静寂の中、真央は息をひそめた。ダンボールの山が、暗闇の中で、ぼんやりと影を作っている。
そして――午前三時ちょうど。
天井の向こうから、声が聞こえた。
低い、男とも女ともつかない声。何かを、順番に読み上げているようだった。
「……いち……に……さん……」
数を、数えている。
真央は布団を頭からかぶった。心臓が、ばくばくと鳴っていた。
声は、しばらく続いた。そして、ぴたりとやんだ。
真央が布団から顔を出したとき、時計は午前三時十分を指していた。
上には、誰もいないはずなのに。