第6話 後輩が来た
新しいバイトが入ってきた。桐島さんが教育係になった。
俺は少し離れたところで、その様子を見ていた。
後輩は見た目からして緊張しているのが分かった。初日のユニフォームはまだ新しく、名札もピカピカしている。時々、桐島さんの顔を見ては、神経質そうに視線をそらしていた。桐島さんの独特な雰囲気に圧倒されているんだろう。俺も初日はあんな感じだったはずだ。
桐島さんは後輩に、几帳面に折られた紙を渡した。
「桐島さんのルール一覧」だった。俺が初日に渡されたやつだ。
あの紙を見たときの俺の困惑が、後輩の表情に映し出されている。項目の数は確か十五個ほど。一見すると、飲食店のバイト業務とは関係ないような項目もある。
後輩が頭を抱えるようにして聞いた。
「え? これ、全部守らないといけないんですか?」
俺と同じ反応だった。その質問をするあたり、この後輩も常識人のようだ。
桐島さんは顔色一つ変えず答えた。
「義務じゃない。でも合理的だから守ってる」
俺と同じ答えだった。いつもの桐島さんのセリフだ。この人の『合理的』という単語は、世間一般の『合理的』とは別の定義で動作しているんじゃないかと思う。
後輩は眉をひそめながら、紙に目を落とした。その視線が、あるルールで止まったようだ。
「あの……雨の日は一球多く投げる、ってどういう意味ですか?」
俺は思わず吹き出しそうになった。その反応も、あの質問も、全部が俺と同じだ。時間が巻き戻ったような不思議な感覚がした。
桐島さんは表情を変えずに説明を始めた。
「野球の話じゃない。雨の日は料理を一テンポ早く出す意味だ」
「なんで野球で?」
「その方が覚えやすかった」
俺は笑いをこらえるのに必死だった。完全に同じ会話だ。桐島さんのこの独特な解釈方法は、おそらく全ての後輩に同じ手法で説明されているんだろう。この人、本当に一貫性がある。
後輩は納得いかない顔で、紙の他の項目を読み始めた。桐島さんはそれを見守っている。その待つ姿勢も、教え方も、全部俺が経験したものだ。
「ハルト、笑ってないで教えてあげて」
桐島さんに指名された。名前で呼ばれたのは珍しい。いつもは『君』だ。
「え、俺ですか?」
「君が最初に受けた時と同じ顔をしてる。親近感を持たせてあげて」
桐島さんは後輩に視線を戻した。
「ハルトも最初は同じことで悩んでいた。今は使いこなしている」
後輩は俺を見た。その目は「本当ですか?」という疑いに満ちていた。
俺は苦笑いしながら近づいた。
「本当だ。最初は意味不明だと思ったけど、一ヶ月もすれば慣れる」
「一ヶ月ですか?」
「一ヶ月だ」
後輩はため息をついた。その肩の脱力具合から、受け入れ難い現実を受け入れ始めたのが分かった。俺も同じプロセスを経ていた。
桐島さんは次のルールについて説明を始めた。その声は平坦で、一切の曲がりもない。完全に『合理的』な説明だ。
この店に来て数ヶ月。俺は初めて、自分が辿ってきた道を別の人間が歩むのを見た。それはどこか奇妙で、でもどこか懐かしい感覚だった。