第4話 ルール帳のアップデート
二週間に一度、桐島さんはルール帳を更新する。
それは金曜日の閉店後、カウンターの片隅で行われるのが常だった。黒い革製のノート——サイズはA5で、表紙には何もロゴや装飾がない——を取り出すと、桐島さんはいつもボールペンを片手に、つぶやくように項目を確認していく。
「廃止:食器を重ねるのは最大3枚まで→最大4枚に変更(新しい棚の高さに合わせて)」
「追加:混雑時はドリンクを先出しする(ハルトの提案)」
俺が驚いたのは、自分の名前が入っていたことだ。黒いボールペンで丁寧に書かれた文字。ハルト——つまり俺。
ルール帳のページをめくると、他にも何十個という項目がある。「お湯の温度は朝は80℃、夜は70℃に設定」「クリームはコップの上から3センチの位置で止める」「常連客の名前は月1回は話題に出す」など、細かく、具体的に。こんなもの、ふつうの飲食店には存在しない。だけど桐島さんのカフェには当たり前にある。
「俺の提案って、いつ?」
ルール帳を手にしたまま、俺は首をかしげた。自分がいつこんなことを提案したのか、さっぱり思い当たらない。
「先週、忙しい時間にドリンクを先に出してたでしょ。効果あったから採用した」
先週。確かに金曜日の夜、客が立て込んでいた時間帯だ。オーダーが詰まっていて、食器の片付けが回らない状態だった。だから俺は、作ったドリンクから順に客に渡していった。すると、何か客の反応が良かった気がする。待ち時間が長くても、飲み物が来るだけで満足してくれるような——。
「でも俺、提案したつもりはなかったんですが」
正直に言うと、桐島さんはふっと小さく笑った。
「行動が提案になってた」と桐島さんは言った。「いいと思ったことはすぐ試す。それもルールのうち」
その言葉の重さに、俺は一瞬、息を止めた。提案というのは、口で言うものだと思っていた。レポートを出すとか、会議で発言するとか。でも桐島さんの世界では違う。行動そのものが提案になる。試してみたことが、その効果を判定されて、ルール帳に記載される。
桐島さんはさらにページをめくって、最後の欄を指した。
「ここが来月の検討予定」
そこには「営業時間を1時間延長する案」「デザートメニューの追加」などが箇条書きされている。その下には、「スタッフからの提案を募集中」とも書かれていた。
「提案は誰からでも来るんです。客からもあるし、前のバイトからも。だから拒否しない。一度は試してみる。それが俺たちのやり方」
桐Island さんがそう言った時、俺は初めて、自分がこのカフェの一部になったような気がした。
俺は自分の名前が入ったルール帳を改めて眺めた。
「ハルトの提案」
たった三文字だけど、何か胸が高ぶった。これまで、俺の行動が誰かに見られていて、評価されていて、そしてルール帳に記録された。つまり、ここに俺が存在する証拠になった。
なんか、悪くない気分だった。
むしろ、すごく悪くない気分だった。
桐島さんがルール帳を閉じて、ボールペンをしまう。いつものように、来週の営業日に向けて。そして俺たちは、そのルール帳を片手に、また新しい二週間を始めるんだ。
──(第5話へつづく)