俺とお前と深夜の攻防 第9話「深夜の規約改定会議」

第9話 深夜の規約改定会議

田中が言った。「規約の総見直しをしたい」

深夜2時だった。居間の蛍光灯が明々白々と照らす中で、こんなセリフが飛び出すなんて。俺は寝ぼけているのかと思い、目をこすった。だが田中は真剣そのものだ。

「今?」「今」「なんで今」「インスピレーションは時を選ばないから」

またそれか、と思いながらテーブルに座った。この男とルームシェアを始めて、もう2年になるが、こういう唐突な提案には慣れている。しかし深夜2時は流石に早過ぎる。明日が仕事ではないのか。そう聞く気力も残っていなかった。

田中は規約の全条文をコピーした紙を取り出すと、眼鏡をかけ直して読み上げ始めた。俺たちは引っ越してきた当初、喧嘩を避けるために共有スペースのルールを厳密に決めていたのだ。第1条から第30条まで、細かく記述された条項が並んでいる。

「それでは始めよう」田中は赤ペンを握った。「一つ一つ『継続』『改訂』『廃止』を判断していく」

「こんな時間に?」

「こんな時間だからこそだ。理性的になれる」

その理屈は分からんが、逆らう気力もなかった。俺は強いコーヒーを淹れることにした。この会議は長くなりそうだ。

「第1条、冷蔵庫のシェアについて。『賞味期限切れのものは容赦なく廃棄する』」

「継続で」

「同意」

こんな調子で進んでいく。ときどき田中は「これはなぜ決めたんだっけ」と昔のことを思い出しては笑った。第3条の「夜間の洗濯機使用は22時までとする」について、俺が「あの時は本当にうるさかったな」と呟くと、田中も「隣の部屋からクレーム来るかと思ったよ」と応じた。

深夜2時半を過ぎた頃、俺たちは笑い出していた。第6条の「トイレのスリッパは揃えて並べる」という規約について、田中が「この条文、守られたことあるか?」と言うと、俺は「一度も」と答えた。それが何故か可笑しくて、二人で笑った。古い友人と過ごす時間のようなぬくもりがあった。

「第8条、入浴は23時までを推奨する、については?」

「廃止でいい。守ったことない」

俺は改めて考える。確かに、このルールを守ったことは一度もない。夜中の3時に風呂に入ることだって珍しくない。

「同意。廃止」田中は赤いペンで線を引いた。その音が妙に響いた。

「第12条、共用のゴミ袋は交互に補充する、については?」

「継続」

「同意」

深夜3時になった頃、残った条文は12条になっていた。机の上には赤線で消された用紙が広げられている。30条あったルールが、半分以下になってしまった。

「すっきりしたな」と俺が言った。窓の外は真っ暗で、街灯だけが頼りだ。

「精鋭化だ」田中が言った。眼鏡のレンズに蛍光灯が映っている。「本当に必要なルールだけが残った。俺たちの生活に必要な最小限の約束ってわけだ」

それは確かにそうかもしれない。最初に決めた30条は、互いに不信感を持ちながら、念の為に決めたルールばかりだった。今、こうして削ぎ落とされたものを見ると、本来は12条で十分だったんだと分かる。

「最後に新条文を一つ追加したい」と田中が言った。赤ペンは新しい紙を指した。「第13条。この規約は、住む人間が変わっても引き継がれる」

俺は黙った。その言葉の重みを感じている。

「……それ、俺が引越しても規約は続くってこと?」

「そうだ」田中は眼鏡を外した。目が疲れているようだ。「次の住人に渡す。精神を引き継ぐ」

「誠意を?」

「誠意を」

そう答える田中の声は、いつもの冗談めいたトーンではなかった。あたかも何か大切なものを託すような、そういう語調だった。

この男と過ごした2年間の全てが、その12条のルールの中に詰まっていたんだ。俺はそう思った。これは単なる規約改定ではなく、俺たちが築いてきた共生の歴史を見つめ直す儀式だったのだ。

深夜4時を過ぎていた。

──(最終話へつづく)

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