第3話: 影を追う旅

その夜、律は再び影刻に外へ出た。

老婆にもらった、影の糸で編んだ小さな袋を握りしめて。「影の匂いをたどれる」と老婆は言った。袋を掲げると、糸がふわりと一方向になびいた。逃げた影のいる方へ。

律は糸に導かれるまま、月夜の街を歩いた。影刻の街は、昼とはまるで違った。あちこちで、人々の影が、本体を離れて動いている。塀の上を散歩する影、噴水のふちで足をぶらぶらさせる影、二つの影が寄り添って、じっと月を見上げている――。

影たちは、本体が言えなかった言葉を、この一時間だけ、自由に交わしているようだった。

「本体には、ないしょだよ」

すれ違いざま、女の影がそう囁くのが聞こえた。律は少しだけ、影の世界の秘密を覗いた気がした。

糸は、街のはずれの、古い橋のたもとで止まった。

川べりに、律の影が立っていた。月を映す水面を、じっと見つめている。

「おい」律は声をかけた。影は振り返ったが、逃げはしなかった。目のない顔で、律を見て――それから、川の向こうを指さした。

対岸に、桜の木が一本あった。今は季節でもないのに、その木だけ、月光の中で、うっすらと花をつけているように見えた。

「あそこに、行きたいのか」

影は、こくりとうなずいた。そして、律が近づこうとすると、また、すっと後ずさって、川に沿って歩き出した。ついてこい、と言うように。

律は追った。影は逃げるのではなく、律を、どこかへ導いていた。

川に沿って歩くうち、律はふと、昔のことを思い出した。まだ幼かったころ、この川べりで、誰かと手をつないで歩いた記憶。あれは、誰だっただろう。

一時を告げる鐘が鳴りはじめた。影が、動きを止める。律の足元に、するりと戻ってきた――かと思うと、また、ふっと離れて、桜の木の方角を、名残惜しそうに見た。

「明日も、来る」律は影に約束した。「一緒に、あの木まで行こう」

影は、ほんの少しだけ、うなずいたように見えた。

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