目が覚めると、朝だった。
手首のウォッチを、恐る恐る確認する。睡眠ログ、心拍、正常。歩数、ゼロ――いや、これは俺が寝ていたからだ。午前三時のグラフは、穏やかな五十台を刻んでいた。二つ目の心拍は、どこにもなかった。
何日ぶりだろう。俺は、恐怖なしに朝を迎えていた。
それからの数日、俺はウォッチをつけたまま眠り続けた。何も起きなかった。午前三時は、ただの午前三時だった。田所さんは、本当に行ったのだ。弟と一緒に。
ただ、一つだけ、気になることがあった。
ウォッチの機種名で、俺はもう一度ネットを調べた。同じ機種の中古が、まだいくつか出回っている。その中の一つに、新しい出品があった。説明文はこうだった。
「深夜の記録が正常に戻りました。もう安心して使えます。良品です」
出品者のIDに、見覚えがあった。田所さんを知っていた、あの人物のものだった。彼も、同じ機種を持っていて、同じ恐怖を抱えていたのだ。そして今、それが「治った」ことを知って、手放そうとしている。
俺は、少しだけ迷ってから、自分のウォッチをどうするか考えた。売れば、また誰かの手に渡る。でも、もう「それ」はいない。ただの中古の腕時計だ。
いや。俺は、売らないことにした。
このウォッチは、田所兄弟が、やっと安らかになった場所だ。二つの心拍が、一つになった場所だ。それを、誰かに売り渡す気にはなれなかった。
俺は充電を切り、箱にしまった。あの、まぎれていた絆創膏を思い出した。田所さんが、眠りながら流した、何かの傷跡だったのかもしれない。
箱を戸棚の奥にしまうとき、俺はなんとなく、小さくつぶやいた。
「おやすみ」
返事は、もちろん、なかった。それでいいのだと思った。