深夜のコインランドリーは、私だけの場所だった。
校正の仕事を家で片づけて、時計が零時を回るころに洗濯物を抱えて歩く。眠らない街の隅で、その白い灯りだけがぽつんと起きている。回るドラムを眺めながら缶コーヒーを飲む十五分が、一日でいちばん静かで、いちばん好きな時間だった。
その夜、ガラス戸を押すと先客がいた。奥の乾燥機の前に男の人が座っていて、膝に文庫本をひらいたまま、ドラムの中で舞う洗濯物をじっと見ていた。私が入っても顔を上げない。生成りのニットに、粉のようなものが少しだけついている。
空いている洗濯機に服を詰め、コインを落とす。ごとん、と水が流れ込む音。私はいつもの窓際のベンチに座って、缶コーヒーを開けた。
「その席、乾燥機の風が来ないんですよ」
不意に声がして、私は顔を上げた。男の人がこちらを見ずに言った。「寒い季節は、右から二番目のがいちばん暖かい」
余計なお世話だ、と思ったのに、なぜか従ってしまった。移った席は、たしかに乾いた風がふわりと届いて暖かかった。回るドラムの音が、二人ぶんの静けさをやさしく満たしていく。
礼を言おうか迷っているうちに、彼の乾燥機が鳴った。男の人は洗濯物をボストンバッグに無造作に詰め、本を上着のポケットに突っ込んで立ち上がる。すれ違いざま、ふわりとバターの匂いがした。
「おやすみなさい」
低い声だけ残して、彼はガラス戸の向こうへ消えていった。
私の洗濯機はまだ回っている。窓に映る自分の顔が、少しだけ笑っていた。誰もいないと思っていた真夜中に、もう一人いた。それだけのことが、妙に胸に残った。
次の夜も、私は零時にドアを押した。彼はいなかった。がらんとした店内で、右から二番目の乾燥機だけが、昨日と同じ場所で私を待っているみたいに見えた。