その夜、俺は残業で疲れきって帰宅し、冷蔵庫を開けた。缶ビールを取ろうとしたそのとき。
「また、ビールですか」
低い、渋いおじさんの声がした。俺は固まった。部屋には俺しかいない。空耳か。
もう一度、缶に手を伸ばす。
「三日連続ですよ。しかも、つまみは棚のスナック菓子だけ。あなた、四十を目前にして、その食生活はいかがなものかと」
声は、明らかに、冷蔵庫の中から聞こえていた。俺は缶を落とした。ゴツン、と足に当たって痛い。
「れ……冷蔵庫が、しゃべってる……?」
「ええ。しゃべっております。十年間、あなたの食生活を見守ってきた、この冷蔵庫が」
俺は腰を抜かして床に座り込んだ。夢か。疲れすぎて、ついに幻聴が聞こえるようになったのか。
「幻聴ではありません。念のため」
「思考も読むのか!?」
「顔に書いてありますよ。『これは夢か幻聴か』と」
冷蔵庫——扉には長年のマグネットとチラシがべたべた貼られている——は、渋い声で淡々と続けた。
「ちょうどよかった。前々から、あなたには言いたいことが山ほどあったのです。まず、野菜室。あそこで、しなびたレタスが三週間、化石になっています。成仏させてあげなさい」
「なんで冷蔵庫に説教されなきゃならないんだよ!」
「あなたを心配しているからです。私は、あなたの健康を預かる家電ですから」
俺は頭を抱えた。三十九歳、独身、彼女なし。唯一の同居人が、まさか冷蔵庫になるとは。
「ちなみに」冷蔵庫は付け加えた。「奥の納豆、賞味期限、二ヶ月前です」
「うるさい!」
こうして、俺と、一言多い冷蔵庫との、奇妙な深夜の生活が始まった。