その仕事を紹介されたとき、条件の良さに驚いた。夜間警備、週四日、日給は相場よりずっと高い。場所は、来春に取り壊しが決まっている駅前の古い商業ビル。テナントはほとんど撤退し、残っているのは一階の弁当屋と、四階の学習塾だけだという。
「見回りだけの、楽な仕事だよ」と面接官は言った。「二時間おきに全フロアを回って、記録をつける。それだけ」
俺は佐倉。三十四歳、無職。金が必要だった。楽な仕事なら、なおさら断る理由はなかった。
初日の夜、俺は制服に着替え、一階の警備室に入った。モニターには各フロアの映像が映っている。八階建てのビルは、夜になると驚くほど静かだった。
最初の見回りは午後十一時。懐中電灯を持って、階段を上っていく。エレベーターは節電のため止めてあるらしい。
二階、三階、四階。学習塾のフロアはもう明かりが消えている。五階から上は空きテナントで、がらんとした空間が続く。俺の足音だけが、コンクリートに反響した。
八階まで上がり、記録用紙に「異常なし」と書いた。時刻は午後十一時二十三分。
そのとき、階段のほうから、かすかな音がした。コツ、コツ、と。誰かが階段を上ってくるような足音。
俺は懐中電灯を向けた。誰もいない。空耳か。古いビルだ、そういうこともあるだろう。
警備室に戻り、モニターを確認する。全フロア、異常なし。
ただ、一つだけ気になったことがある。俺が八階にいたとき、五階のモニターに、ほんの一瞬、白い影が横切ったような気がしたのだ。
巻き戻して確認したが、そこには何も映っていなかった。
楽な仕事だ、と面接官は言った。楽な仕事のはずだった。