梅雨に入り、その日は朝から激しい雨が降っていた。
藤代さんは水曜の夕方、ずぶ濡れで店に飛び込んできた。傘を持っていなかったらしい。
「大丈夫ですか。タオル、使ってください」
私はバックヤードから乾いたタオルを持ってきて渡した。彼は恐縮しながら髪を拭いた。濡れた前髪の下の顔が、いつもより幼く見えた。
「せっかくの花が、雨に濡れちゃいますね」
「大丈夫。少しの雨なら、花はかえって喜びます」
私がそう言うと、彼は「花屋さんらしい言葉だ」と笑った。
雨脚は強まるばかりで、彼はしばらく雨宿りしていくことになった。狭い店内に二人。花の香りと、雨の匂いが混じり合う。
「七海さんは、どうして花屋に?」
訊かれて、私は少し考えた。
「昔、落ち込んでいた時に、母がテーブルに一輪花を飾ってくれたんです。それだけで部屋が明るくなって。花には、人の心を動かす力があるんだって思ったんです」
「わかる気がします」彼は静かに頷いた。「祖母の病室も、花があるだけで空気が変わるんです。祖母、いつも嬉しそうで」
二人で並んで、雨の降る通りを眺めた。傘の花が道に咲いては消えていく。
「今日は一輪じゃなくて」彼がふいに言った。「二輪、もらえますか。一輪は祖母に。もう一輪は――」
彼はそこで言葉を止めて、少し照れたように私を見た。
「この店に。いつもありがとうの気持ちで」
私は驚いて、それから小さく笑った。彼が選んだのは、二本の白いマーガレット。花言葉は「真実の愛」。彼はきっと、その意味を知らずに選んだのだろう。
でも私は、それを彼に言えなかった。言ってしまったら、この温かい時間が壊れてしまいそうで。