俺の先輩は変すぎる 第8話「ルール帳を失くした日」

第8話 ルール帳を失くした日

桐島さんが、ルール帳を失くした。

バイトに来るなり「ノートがない」と言っていた。いつもの淡々とした様子がなかった。その日の桐島さんは、制服の胸ポケットに手を何度も入れては引き出すという仕草を繰り返していて、見ていてこちらが落ち着かなくなるほどだった。

「どこで失くしたか分かりますか?」

「分からない。昨日まであったのに」

珍しく焦っているように見えた。いや、焦っているというより、何かを失った時の人間特有の、あの落ち着きのなさが彼女から感じられた。桐島さんが落ち着きを失うなんて、この三ヶ月働いてきた中で初めてのことだ。

「大丈夫ですよ。ルールは全部桐島さんの頭の中にあるじゃないですか」

俺は励ますつもりで言った。実際、彼女が忘れたルールなんて見たことがない。毎日新しいルールをノートに追加しているくらいだから、既存のルールなんて完璧に覚えているはずだ。

「頭にはある。でも、書かないと安心できない」

桐島さんの言葉には、単なる不安以上の何かが含まれていた。

「書くことで安心するんですか? 覚えているのに?」

俺の質問に、桐島さんは少し黙ってから答えた。その間、彼女はレジの奥を見つめていた。まるで遠い場所を見ているような、そんな表情で。

「紙に書いてあると、消えない気がする。頭の中だけだと、いつか消えそうで怖い」

その言葉を聞いた時、俺は初めて桐島さんの本当の姿が見えた気がした。完璧に見えるその人も、何かを失うことへの恐怖を感じているんだ。ルール帳というのは、単なるメモではなく、彼女にとって何か心の支えのようなものなのかもしれない。

バイト終了後、俺はコンビニに立ち寄った。帰り道の途中にある小さなコンビニ。桐島さんが毎日使っているのと同じブランド、同じサイズ、同じ色のノートを探した。前に彼女のノートをちらっと見たことがあったから、どんなやつなのかは覚えていた。黒い表紙に、薄いグリーンのラインが入ったシンプルなやつだ。

次の日のバイトで、俺は新しいノートを桐島さんに渡した。

「これ使ってください。同じやつです」

桐島さんが手に取った時、彼女の顔に変化があった。いつもの無表情ではなく、ほんの少し、眉間の緊張が解けたような、そんな表情。

「ありがとう」

その二文字は、彼女が俺に言った言葉の中で、一番心がこもっていた気がした。

その日の営業時間中、桐島さんは新しいノートにルールを書き始めた。昨日失くしたものを、もう一度、紙の上に蘇らせるために。その手つきは丁寧で、時間をかけていた。まるで、また失わないようにという気持ちを込めるかのように。

帰り際、彼女はまた何か言いたげな様子を見せたが、結局は何も言わずに去っていった。ただ、その背中には、前日とは違う落ち着きがあった。

──(第9話へつづく)

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