第7話 田中の意外な一面
田中が料理をしていた。
深夜0時に、鍋を使って何かを作っていた。白い湯気が立ち上り、キッチンに香ばしい匂いが漂っている。俺はリビングから声をかけた。
「なに作ってんの」
「リゾット」
短い返答だ。田中はいつもこんな感じだ。でも今夜はなんか違う。手際よく玉ねぎを炒める姿に、意外な熟練感がある。
「なんで深夜に」
「食べたくなったから。お前も食べる?」
断る理由がなかった。というか、食べたい気持ちが勝った。俺はキッチンの片隅に立って、田中の動きを眺めることにした。
ブイヨンをスプーンで加える。白ワインを垂らす。米粒がしんなりしていく様子を、田中は集中して見守っていた。その表情は、普段の厳しい顔ではなく、何か柔らかいものに包まれているように見えた。
「完成」
出てきたリゾットは、普通に美味かった。いや、むしろ、かなり美味かった。濃厚なチーズの香り、塩辛さの絶妙なバランス。米の固さも完璧だ。俺は思わず「うめえ」と呟いていた。
「料理できたの?」
「祖母から習った。一人暮らし始める前に」
田中はスプーンを動かしながら言った。その声にはいつもと違う、どこか懐かしいような響きがあった。
「規約を作ったのも、一人暮らしが初めてで不安だったから。ルールがあると落ち着く」
ああ、そういうことか。今まで俺は、田中の細かい規約を、ただ管理好きな奴だと思っていた。でも違ったのだ。あれは不安の表れだったんだ。初めての一人暮らしで、何もかもが未知数で、だからこそ、何かに掴まりたかったのだ。
「そういうことか」
「お前は平気だった?一人暮らし」
田中が突然、俺に質問を投げかけた。これも珍しい。普段、田中が人のことを聞くことはほとんどない。
「最初は結構しんどかった」と答えると、田中が「そうか」と言った。それだけだった。
でも、その返答には何かが詰まっていた気がした。同情でもなく、励ましでもなく。ただ、そういう時間を誰もが経験するんだ、という静かな了解のような何か。
深夜のリゾットを食べながら、俺は田中のことが少し分かった気がした。
規約は、管理のためではなかった。安心のためだったのだ。初めての一人暮らしで、夜中に不安に襲われた時、ルールという枠組みが、彼を守ってくれたのだろう。そして、その枠を他人にも求めたのは、何も俺を困らせるためじゃなく、ただ一緒にいる相手にも、同じ安心を感じてほしかったからなのかもしれない。
窓の外は真っ暗だ。夜明けまで、まだ何時間もある。俺たちはそのまま、深夜のキッチンでリゾットを食べ続けた。何も話さなくても、その沈黙が心地よく感じられるのは、田中を少しだけ理解できたからなのだろう。
──(第8話へつづく)