銀の羅針盤 第5話「セラのこと」

第5話 セラのこと

セラはいつも店にいた。

朝に行っても昼に行っても、彼女は棚を整理するか、小さな机で何かを書いているか、客に地図を説明しているかのどれかだった。店の奥から聞こえる、紙をめくる音やペンの走る音は、この場所の呼吸のようだった。

「休まないの?」と聞くと、「店が好きだから」と返ってきた。その答え方には、いつも穏やかさがあった。だが同時に、何かを隠しているような奥行きも感じられた。

「外に出たいとは思わない?」

セラは少し間を置いた。窓の外を見つめるように、天井の一点に視線を留めた。その瞬間、彼女の顔から何かが消えたように見えた。「思うけど……私はここにいる方がいいと思ってる」

なんとなく歯切れが悪い言い方だった。「思ってる」ではなく「思わなければならない」のような響きがある。義務のような、あるいは約束のような。その微妙なニュアンスが、私の心に引っかかった。

どうしてだろう。セラはまだ若いのに、何か重いものを背負っているように見える。それは彼女の表情には出ていない。むしろ、いつも穏やかだ。でも時々、目の奥に何かが映る。それは風景ではなく、思い出のようなものだった。

羅針盤のことを報告すると、セラはいつも少し楽しそうだった。その時だけ、彼女の表情から何かが解放されるように感じられた。どこに行ったか、何を見たか、何を感じたかを聞いてきた。その質問の仕方は、単なる好奇心ではなく、何か別の目的があるようにも思えた。あたかも私の旅を通じて、自分が見たかった景色を追体験しようとしているかのように。

ある日、思い切って聞いてみた。「セラは羅針盤を使わないの?」

彼女は一瞬だけ表情が変わった。その瞬間、普段の穏やかさが割れたように見えた。「使えないの」と言った。声は小さかった。「それは、私が売るものだから」

その言い方が引っかかった。使えない。使わない、ではなく。つまり、物理的に使えないのではなく、立場として使うことが許されないということなのか。セラはこの店の経営者なのだから、羅針盤を使って旅に出ることは簡単だろう。なのに彼女は、そうしない。いや、そうできないのだ。

店を見渡してみた。古い地図が所狭しと並び、羅針盤が光を反射して輝いている。この空間は、セラの檻のようでもあり、砦のようでもあった。彼女はここで何かを守っているのか。それとも、何かから逃げているのか。

羅針盤を手の中で握りながら、セラのことを考えた。冷たい金属の感触が、私の手のひらに伝わってくる。この小さな道具は、持ち主を導く。迷った時に方角を示し、進むべき道を明らかにする。だがセラは、この羅針盤に導かれることがない。彼女は、すでに進むべき道を決めてしまっているのだ。

この子は、どこに行きたいのだろう。

その問いは、同時にこうも問いかけていた。セラは本当は、どこに行きたかったのだろう。羅針盤を手にして、自分の足で歩みを進める前に、彼女は何かを失ってしまったのではないか。希望か、自由か、それとも別の何かか。

窓の外では、夕焼けが街を赤く染めていた。セラはその光を見つめながら、いつものように机に向かって何かを書いていた。その姿は、確かに穏やかだ。けれど、それは本当の平穏なのだろうか。それとも、何かを諦めた後の、静寂なのだろうか。

その答えを知ることができるまで、私は羅針盤を握り続けるしかない。

──(第6話へつづく)

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