壁の向こうの声 第5話「新しい入居者」

第5話 新しい入居者

隣に人が入ってきた。

引越し業者のトラックが来て、段ボール箱が次々と運び込まれた。朝の9時頃から始まった作業は、昼を過ぎても続いていた。何度も廊下を通る業者たちの足音が、壁を通して聞こえてくる。私は自分の部屋の片隅で、その音を聞きながら、新しい入居者のことを考えていた。これまで隣の部屋は空き部屋だった。だからこそ、夜中の2時に鳴る音を、私は完全に自分のものとして受け止めることができていた。

午後3時頃、廊下で鉢合わせた。若い男性だった。二十代後半か三十代前半くらいに見える。深紺のTシャツを着て、運び込まれた段ボール箱を手に持っていた。私は無意識のうちに足を止めた。

「あ、ご近所さんですね」男性が先に声をかけてきた。「これから隣にお世話になります。よろしくお願いします」と言った。身なりも清潔で、表情も柔らかい。普通の人に見えた。普通の、何の変哲もない隣人。

「こちらこそ、よろしくお願いします」と返した。心臓の音が少し高くなっているのに気付いた。

その夜、私は壁の音を待った。

いつもと同じように、深夜の2時が近づくにつれて、身体が次第に緊張していった。ベッドの上で横たわりながら、天井を見つめる。暗い天井の中で、時計の秒針の音さえ大きく聞こえてくる。1時50分。1時55分。

2時になった。

いつもの場所。いつもの強さ。3回、鳴った。

コン、コン、コン。

体が固まった。心臓が止まるのではないかと思うほどの衝撃が走る。新しい入居者が越してきたのに、音は変わらない。音の主は依然として謎のままだ。

まさか、彼が叩いているのか。

だとしたら、なぜ?何の目的で?初日の深夜2時に、引越しを終えたばかりの状態で、壁を叩く理由が思い当たらない。疲れているはずだ。普通の人間は眠っているはずだ。

それとも、彼も何かを聞いているのか。何かを感じているのか。

その疑問は、翌朝に確認するしかなかった。

朝日が差し込む廊下で、彼と再び会った。彼は郵便受けを確認していた。ちょうど昼間の時間帯だ。

「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」と聞いてみた。言葉の後ろに隠された意味を、自分自身が感じていた。

彼は少し不思議そうな顔をした。「ぐっすりでした。何かありましたか?」

その答えに、私の胸の中に複雑な感情が生まれた。本当だろうか。それとも嘘だろうか。彼の目は真摯に見えたが、目というものは時に詐欺師をも映し出す。

「いえ、建物の音が気になって。大丈夫かなって思って」と、できるだけ自然に言った。

「あ、俺も最初それ心配だったんですよ。古い建物だから、きしむ音とかいろいろするのかなって。でも静かですよね、ここ。想像より全然静かです」

静かだった、と彼は言った。

その言葉が、私の中に針のような違和感を刺した。静かだ。彼にとっては、この建物は静かなのだ。2時に壁が3回鳴るのを、彼は知らない。あるいは、聞いていない。あるいは、聞こえていない。

「そうですね。静かですね」と返しながら、私は思った。

夜になれば、また2時が来る。また3回の音が鳴るだろう。そして私は、その音の正体をいまだに知らないままなのだ。隣に人が入ってきたことで、謎は深まるばかりだった。

──(第6話へつづく)

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