それから、半年が過ぎた。
真央は、まだ四〇二号室に住んでいた。あの夜以来、点呼の声は一度も聞こえなかった。マンションは、ようやく普通の、静かな集合住宅になった。
少しずつ、新しい住人も増え始めた。長く空室だった部屋に、明かりが灯るようになった。真央は、そのたびに、なぜか安心した。数が、増えていくことに。
ある日、エントランスで、新しく越してきた若い女性とすれ違った。彼女は、不安そうな顔をしていた。
「あの」女性が、思いきったように声をかけてきた。「変なこと聞くんですけど……このマンション、夜中に、上の階から音がするって噂、ありませんか」
真央は、少し驚いた。
「昔は、あったかもしれません」真央は、静かに答えた。「でも、もう、大丈夫ですよ」
「本当ですか」
「ええ。ちゃんと、みんな無事だって、確かめてもらえましたから」
女性は、意味がわからないという顔をしたが、真央の穏やかな表情に、少しほっとしたようだった。
真央は、エントランス脇の石碑に目をやった。今も、花が絶えることはない。真央が、毎週供えている。
「困ったことがあったら、いつでも言ってください」真央は微笑んだ。「ここの管理人さんは、とても、住人思いの人だったそうですから」
女性は、きょとんとしていたが、「ありがとうございます」と頭を下げて、部屋へと入っていった。
真央は、石碑の前で、いつものように手を合わせた。
「木ノ下さん。また一人、増えましたよ」
風が、穏やかに吹いた。
もう、点呼の声は聞こえない。けれど、真央は時々思う。今も、どこかで木ノ下が、静かに住人を見守っているのかもしれない、と。
かつては恐怖だったその存在が、今は、なぜか心強かった。
家賃の安さには、理由がある。でも、その理由は、もう、恐ろしいものではなくなっていた。
このマンションは、二十年ぶりに、本当の意味で、住人を守る場所に戻ったのだ。