その夜、彼は小さな紙の円盤を持ってきた。星座早見盤だった。
「子どもの頃、初めて買った天文グッズです」
二枚の円盤が重なっていて、日付と時刻を合わせると、その夜に見える星空が窓のように現れる。古びていて、角が少し折れていた。長く大事に使われてきたのがわかった。
「これで、いつ何の星が見えるか、全部わかるんです。未来の空も、過去の空も」
彼は日付を回して、私の誕生日に合わせてくれた。私が生まれた夜、この街の空にはどんな星が出ていたのか。今と同じ星たちが、少し違う位置に並んでいた。
「あなたが生まれた夜も、ちゃんと星は出てたんですね」
「なんだか、不思議です。私が知らないところで、ずっと星は回ってたんだ」
彼は円盤を回す手を止めて、静かに言った。
「僕、昔は天文台で働きたかったんです。研究者になって、ずっと星を追いかけて生きるのが夢でした」
「どうして、やめたんですか」
「才能がなかった、というのが正直なところです。それに、家の事情もあって。夢を追える人ばかりじゃない」
はじめて、彼が自分のことを深く話した気がした。
「でも、こうして星は見てるじゃないですか」と私は言った。「天文台じゃなくても、屋上でも、空はちゃんと同じですよ」
「……あなたは、いつも僕を少しだけ楽にしてくれますね」
彼はそう言って、早見盤を私に手渡した。
「これ、あなたに預けます。眠れない夜に、回してみてください。次に僕と会える星空が、いつになるか、わかりますから」
古い早見盤を受け取った手のひらが、じんわりと温かかった。
それは、名前も番号も知らない私たちのあいだで、初めて交わされた「物」だった。夜の約束が、少しだけ、形になった気がした。