第5話: 練習の日々

公開収録に向けて、僕は必死だった。

鏡の前で喋る。スマホで自分の声を録音して聞く。あまりの陰気さに、自分でドン引きした。これでは、人前で笑いなど取れるはずがない。

思いあまって、僕は近所の商店街に出た。人と話す練習だ。まずは、いつも猫に無視される、あの家の前へ。すると、猫を撫でていた、おばあさんがいた。

「その猫、いつも僕を無視するんです」思わず声をかけた。

おばあさんは笑った。「あら、この子は気まぐれだからねぇ。あんた、ラジオの人でしょ」

「え?」

「『眠らぬ狼』さん。私、毎晩聴いてるのよ。チャーハンの味噌汁事件、大笑いしたわ」

驚いた。こんな身近に、リスナーがいたなんて。

それからというもの、商店街を歩くと、あちこちから声がかかるようになった。八百屋のおじさん、パン屋の若奥さん、クリーニング屋の兄ちゃん。みんな、深夜ラジオの、僕の投稿を知っていた。

「狼くん、今度の公開収録、行くよ!」

「がんばれよ、緊張すんな!」

僕は、呆然とした。ずっと、自分は世界と切れていると思っていた。誰とも繋がっていない、透明な存在だと。

でも、違った。深夜二時の電波は、僕が思うよりずっと遠くまで届いていて、僕の知らないところで、たくさんの眠れない人たちと、僕を繋いでいた。

その夜、僕はキョウコにメールした。

「商店街に、僕のことを知ってる人が、たくさんいました。びっくりしました。僕、少しだけ、世界と繋がってたみたいです」

キョウコは、いつもの毒舌ではなく、静かに読み上げた。

「……気づくの、遅いわよ、狼くん」

声が、少しだけ、湿っていた気がした。

「あんたの投稿はね、毎晩、たくさんの眠れない人を、笑わせてたの。あんたは、透明なんかじゃない。ちゃんと、誰かの夜を、明るくしてたのよ。それを、公開収録で、自分の目で、確かめてきなさい」

僕は、鏡の前に戻って、もう一度、喋る練習を始めた。今度は、少しだけ、笑えていた。

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