それから、莉子は時々、夜の観覧車を訪ねるようになった。
乗るためではない。あの青年と、話したかったからだ。彼が、なぜ「乗れない」のか。なぜ、この観覧車で「見送る係」をしているのか。それが、気になってしかたなかった。
ある夜、乗り場に、一人の老人がいた。
杖をついた、上品な身なりの老人だった。青年と、親しげに話している。
「今夜も、来たよ」老人が言った。
「毎晩、ありがとうございます」青年が微笑む。
莉子が近づくと、老人は彼女を見て、にっこり笑った。
「あんたも、迷い子かい」
「え?」
「わしはね、もう五十回も乗っとる」老人は言った。「毎晩、選ばなかった人生を見に来るんだ」
「五十回も……」莉子は驚いた。「見るたびに、違うんですか」
「いや、同じさ。わしは若い頃、画家になりたかった。でも、家族を養うために、その夢を捨てて、会社員になった」老人は、遠くを見た。「ゴンドラの中では、画家になったわしが見える。貧しいが、幸せそうにな。絵を描いとる」
「じゃあ、後悔してるんですか。会社員になったこと」
老人は、首を振った。
「最初はな。でも、五十回も見るうちに、わかってきた。画家になったわしも、きっと、会社員のわしをうらやんどる。安定した暮らし、育てた子どもたち……どっちにも、いいものがある」
莉子は、青年の言葉を思い出した。どちらの道にも、幸せと後悔がある。
「じゃあ、なんで、毎晩来るんですか」
老人は、少し照れたように笑った。
「絵を描いとるわしを、見に来るのさ。叶えられなかった夢の中の、自分をな。会いに来とるんだよ。もう一人の、自分に」
その言葉は、優しかった。後悔ではなく、慈しみだった。
莉子は、ふと、青年を見た。彼は、老人の話を、じっと、切なそうな目で聞いていた。
まるで、自分も、誰かに会いに行きたいのに、行けない――そんな目だった。