第3話 別の本でも
同じ本を繰り返し借りる人間は、図書館の貸出記録を見ればわかる。
もちろん個人情報なので見てはいけない。でも、同じ本が短期間に繰り返し動いていることには気づく。
あの文庫本は、月に二回のペースで誰かが借りていた。
その本は、有名な自己啓発本ではなく、ちょっと地味な随筆集だ。著者は聞いたことのない人で、装丁も派手ではない。それなのに、貸出票には二週間ごとに返却、貸出の繰り返しが記されていた。誰かにとって、そんなに大切な本なのか。私は不思議に思いながら、その本の貸出日時を眺めていた。
二週間後、また返却された本を開いた。
私は息を呑んだ。前回書き込まれた余白のすぐ隣に、また新しい赤いボールペンの文字があったのだ。
『ありがとう。少し楽になりました』
それだけだった。たったそれだけの言葉なのに、その短さが妙に心に引っかかった。
少し楽になりました。私は、その言葉をもう一度読み返した。この本の中にある、どの文章が、この人を楽にしたのだろう。あるいは、本の内容そのものではなく、私の「悩んだ証拠」というメッセージが、この人に何かをもたらしたのか。その可能性を考えると、胸がざわめいた。
この人には、遅すぎることに悩んでいる何かがあるんだと思った。タイトルは「遅すぎる」ではなく、「遅すぎないだろうか」という不安だったかもしれない。一度きりではなく、繰り返し繰り返し同じ本を借りて、そのたびに同じページを開いているのだとしたら、その悩みはかなり根深いものなのだろう。
翌週、別の棚を整理していたら、別の本の余白に赤いボールペンの字を見つけた。
それは詩集だった。装丁は落ち着いた紺色で、かなり古い本だ。貸出票を確認すると、最近になって借りられるようになった本だった。もしかして新しく寄贈されたのかもしれない。その詩集のあるページに、同じ赤いペンで小さく書かれていたのだ。
『これもそうだ』
字体が同じだった。同じ人が書いたに違いない。
この人は、複数の本に書き込みをしている。何冊の本に、どんなメッセージが隠されているのだろう。図書館全体を見回す思いで、私は棚を眺めた。もしかして、私が見落としている書き込みがあるかもしれない。
私は、その詩集も借りることにした。
返却期限までにその詩集を読もう。その人が何に悩んでいるのか、この人物の輪郭をもっとはっきり見たい。図書館の利用者の一人として、私はこのミステリーに惹き込まれていた。正体を知りたいわけではない。ただ、その人の心の声をもっと聞きたい。カウンターから見える世界では決してわからない、本の中に隠された物語を。
返却されたその詩集を待つ間、私はまた新しい本を開いた。