第5話 桐島さんの失敗
桐島さんが、テーブルを間違えた。
隣の席の注文を別のテーブルに持って行ってしまった。珍しいミスだった。客のテーブル番号を確認してから運ぶというのは、飲食店のスタッフにとって基本中の基本。特に桐島さんはそういう細かいルーティンを大事にする人だから、これまで見たことがない。
俺はすぐにフォローに動いた。桐島さんに持ち直してもらい、正しいテーブルに料理を運んだ。客からの文句も最小限で済んだ。だがいつもは素早く対応する桐島さんが、その後、珍しく黙ってしまった。
何か考えている表情だった。ただ落ち込んでいるのではなく、何かを必死に分析しているような眼差しだ。ミスをしたことに対して、単に反省するだけじゃなくて、原因を追究しているんだろう。それが桐島さんのやり方だった。
休憩中に聞いた。「さっきのミス、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない」と桐島さんは素直に言った。「さっきから原因を考えてる」
この人は、自分の失敗を素直に認める。それも、落ち込むのではなく、システムのバグを見つけたエンジニアみたいな感覚で扱う。俺はそれが好きだった。
「どうして間違えたと思いますか?」
「左回りのルーティンが崩れた。混み始めてから逆回りになってた。それで認識がずれた」
なるほど。桐島さんは常に同じ回り方をしながら、テーブルの位置を脳にインプットしているんだ。数百番持つテーブルすべてを正確に把握するために、その位置情報を身体で覚えさせている。だから逆回りになると、無意識の認識がずれてしまう。それは合理的な分析だった。
「ルーティンを守れない状況になったとき、どうするかは考えてなかった?」
桐島さんは少し黙った。その間、彼女の目は何かを見つめていた。過去のミスの瞬間を、映像として見直しているのかもしれない。
「考えてなかった。盲点だった」
その答えは、まるで自分の論文の欠陥を認める研究者のようだった。悔しさもあるが、それ以上に、発見した喜びが混じっているように見えた。
「ルール帳に追加しますか?」と聞くと、桐島さんは「する」とだけ言って、いつもの小さなノートを出した。
常に身に着けているそのノートには、これまで彼女が発見した飲食店の仕事のルール、工夫、注意点が細かく書き込まれている。新人時代から何年もかけて、一つ一つ丁寧に記録されたものだ。それは単なる失敗記録ではなく、自分のシステムを改善するための設計図なんだ。
桐島さんはペンを走らせた。素早く、正確に、その失敗から得た教訓を記録していく。「混雑時のルーティン逆転に気をつける」「テーブル確認の習慣をさらに強化」「認識ズレの検出方法を開発する」──そんな内容が、小さな字で記されていった。
人が失敗から学ぶのを、目の前で見た気がした。
落ち込むのではなく、逃げるのでもなく、冷静に分析して、システムを改善する。それが桐島さんのやり方だった。そしてそれが、彼女を優秀なスタッフにしているんだろう。
俺は改めて思った。この先輩は、本当に変な人だ。でも、その変さは、仕事をする上では最高の武器になっている。
──(第6話へつづく)