第2話: 影のない者

翌朝、律は自分の足元を何度も確かめた。

太陽の下でも、電灯の下でも、律には影がなかった。まるで、そこだけ光が素通りしていくみたいに。

最初に異変に気づいたのは、母親だった。朝食のとき、母は律の足元を見て、スプーンを取り落とした。

「あなた……影は?」

影を失くした者が、この街でどうなるか。母の青ざめた顔が、その深刻さを物語っていた。

「影を失くすと、少しずつ、体が薄くなっていくの」母は震える声で言った。「影は、その人が世界にいるっていう、証なのよ。それがないと、あなたは……いなくなってしまう」

律は自分の手を見た。まだ、しっかりある。でも、心なしか、光を透かしているような気もした。

「影を、取り戻す方法はないの?」

母は首を振った。「逃げた影を追ってはいけない。それが鉄則。追った者は、みんな……」

言葉を濁す母を残して、律は家を出た。じっとしていられなかった。

街を歩くうち、律はある路地の奥で、一軒の小さな店を見つけた。「影繕い処(かげつくろいどころ)」という、掠れた看板。こんな店、今まで通ったことがあるはずなのに、見た覚えがなかった。

中に入ると、薄暗い店内に、老婆が座っていた。糸車を回している。よく見ると、その糸は――黒い、影の糸だった。

「影を、失くしたね」老婆は顔も上げずに言った。「珍しい。自分から追いかけたのは、久しぶりだ」

「あの、影を、取り戻せますか」

老婆はようやく顔を上げた。深いしわの奥の目が、律をじっと見た。

「取り戻すんじゃない。迎えに行くんだよ。逃げた影は、行きたい場所へ向かう。影が本当に行きたかった場所へ。おまえが、それを一緒に見つけてやれたら――影は、自分から戻ってくる」

「影が、行きたかった場所?」

「おまえの影は、おまえの知らない、おまえの本音を知っている」老婆は糸車を止めた。「さあ、次の影刻までに、心を決めておきな。影を追う旅は、自分の心の底を、のぞく旅だからね」

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